中島弘貴
by ototogengo
中島弘貴
多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、音楽、絵、写真をやります。

2011年に解散したバンド“立体”では、うたとギターを担当。空島出版主宰。


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『霧の扉を抜けて』

彼女は向こうがわからの光が淡く七色に遊んでこちらに注ぎこむ、白く濃い霧の大きな扉を一つ、また一つと開閉しては進んでいく。一日か二日ごとに扉を一つ通るといったペースだ。それをすりぬける光は通り過ぎた扉の数にしたがって強くなるが、これまでのところ、その光源が姿を現したことは一度たりともない。

今、また一つの扉を彼女が開けると、全てのものの半ばほどが光に覆われている。もう一度これまでと同じくらい進んだなら、輝きがあまりにも強すぎて体も心も真っ白に浸される、そんな場所に行き着くかも知れない。
さて、今回の空間では様々な色や形の花がすでに咲いているが、より多くの植物に見られる、瑞々しく照り映える生まれたばかりの葉、割れ目のできた硬い殻ややわらかな毛で覆われた若芽が新しい季節の息づきをますます鮮やかに感じさせる。近く、遠く、鳥たちのさえずる声が聴こえる。短く、時に長く、感嘆のように、うたうように、あるいはおしゃべりのように。その姿が見えることもある。ほら、尾の少し長い翠色の小鳥がそこの枝から枝へ、ちょんと跳び移る様子が今も見えた。ここはあまりにも心地がいいので、彼女は力のみなぎる肢体を大きく伸ばして空気を胸いっぱいに吸いこんだ。
ゆっくりと歩きながら、時に湧きあがるよろこびを抑えきれずに駆け出しながら、彼女は長い朝と昼を満喫しながら進む。ついに体が少し重くなってきたので、鬱蒼たる森のなかの広場にある、地面から生えて三又に枝分かれした椅子の一つを選んで座り、一休みする。そうしながら、彼女は中空の一点をじっくりと眺めておだやかな微笑みを浮かべているのだった。その翅(はね)の色である橙色の帯を描きながら飛んできた天道虫が、彼女の右肩に止まってもぞもぞと動いていた。

しばらくすると、一人の男性が繁みを掻き分けてやって来た。息を切らし、顔に玉の汗を浮かべた彼はこちらに近づくと、
「こんにちは」
と些か堅苦しい調子で言うので、彼女も
「こんにちは」
と返す。
「こちら、よろしいですか?」
彼が右手の平で別の枝に生えた椅子をさした。
「ええ、あいているのでどうぞ」
彼はせわしなく辺りを見回してから、
「いやあ、随分と歩き続けてきました。それにしても、景色が大分変わってきましたね。最近は見違えるように明るくなった」
と切り出した。
「ええ、扉を開ける度に様子が違っていてたのしいですよね」
「いやあ、お恥ずかしいことに、辺りを眺める余裕があまりないので、それぞれにどんな違いがあったのかは覚えていないんです」
「どの場所もすてきでしたよ。それぞれに違う植物が花を咲かせ、葉を繁らせ、実を付けて。活動する虫や動物たちも場所によって違うみたいです。それに苔やきのこたちも」
「へえ、そんなにも違うものなんですね」
「ええ、光の加減はもちろんですし、空気や風の肌合いやかおり、味までも違いますね。それに空の色や高さ、雲の広がりも違う」
「それは惜しいことをしました。今となっては、それを確認するために引き返したくても引き返せませんね。残念です」
「どうして余裕がなかったんですか?」
「辺りを眺める余裕がですか?」
「ええ」
「早く終わりに辿り着きたかったんです。いや、今でもそう思っているんですよ」
「それはどうしてですか?」
「どうしてって、そこに辿り着くことこそが、こうしてここにいる唯一の目的に思えるからです。違いますか?」
「わたしに違うかどうかは分かりません。ただ、早く終わりが来ればいいと思ったことはないなあ」
「どうしてですか?」
「それは、こうして一つ一つ扉を開けてゆっくりと進んでいることがとてもたのしいからですね」
「じゃあ、あなたは終わりが来なければいいと思っているんですか?」
「いいえ、終わりが来ようが来るまいが、わたしにはどちらでもいいと思えるんです」
「不思議なことをおっしゃいますね。もしも次の扉を開けた瞬間に終わりがそこにあったとしたら、あなたはそれからどうなさるんですか?」
「うーん、何もしないでしょうね。その終わりがどんなものかも分かりませんが、それによってこの世界が無くなるか、わたし自身が無くなりでもしない限り、これまでどおり今ここにいることを存分に体験しながらゆっくりと進んでいくつもりです」
「はあ、そんな生き方もあるんですね」
「ええ。わたしにはこうするのが一番しっくりくるんです」
「とてもすてきですね。…あ、よく見ると、あんなところに果物が」
水がこぶし大の玉を成したような、うっすらと青くて透明な林檎が、二人のほぼ中間点に位置する椅子の樹の枝先からたった一つだけ生っているのだった。そして、その果実の東半球の表面は光をうけて白金(しろがね)に輝いていた。
「実は、わたしも体を休めながらあれをじっくり眺めていたくて、この椅子を選んだんです」
「へえ、そうだったんですね。ああ、それにしてもきれいな実ですね」
その実には風にそよぐ葉群れがやわらかな影を落とすことがあり、その影が離れるたびに透明な果肉はうっとりするように細やかな光の縞々(しましま)を周りになげかけるのだった。また、あるかなしかに波うつその表層を通して真ん中にある小さな種子の集まりが見えた。
「はい、こんな林檎は初めて見ました。深い夕焼けのように紅いものなら何度も目にしたんですが」
「へえ、それもまたうつくしそうだ。僕はそのことすらも知らなかったです」
「ええ、とっても可愛いですよ。…さて、わたしはそろそろ先へ行こうかと思います」
そう言って、彼女は立ちあがった。
「はい。僕はもう少しゆっくりしてからいこうかと思います。」
「では、ごきげんよう」
「あ、少しだけ待って下さい」
「どうかされましたか」
「いえ、ただお礼をお伝えしたかったんです。貴重なお話をどうもありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそどうもありがとうございました」
「僕もこれからは辺りを観察する余裕を持って進んでみます。それでも、いつか終わりに辿り着きたいのはこれまでと変わりませんが」
そう言って、彼はにっこりと笑った。
「はい。それでは、お互いにいい旅をしましょう。そして、どこかでまたお会いしましょう」
「ええ、良い旅を。僕もあなたにまた会いたいし、どこかでまたお会いできる気がしています」
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by ototogengo | 2012-04-16 21:44 | はなし | Comments(0)
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