中島弘貴
by ototogengo
中島弘貴
多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、音楽、絵、写真をやります。

2011年に解散したバンド“立体”では、うたとギターを担当。空島出版主宰。


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『ふしぎな夜を越えて』

ただしは長そでと半ズボンの学生服を着て、つば付きで上面がマフィンのようにふくふくとふくらんだ学生帽をかぶって夜道を歩いていた。家はまだ遠い。ふっくらとした畦道に四角く区切られて連なる田んぼは奥の方が黒ぐろとして闇にしずみ、近くでは張られた水の仄かな光沢がゆれ、苗がまばらに植えられていくつかずつの葉がそっと、あるいはすわっと開いている。水面に映るその影のやわらかさ、うつくしさ。ただしは夜のいささか湿った透明さに包まれたその風景のなかで、とことこ進むのだった。淡い淡い白や黄や赤や青の星たちで静かににぎわう夜空の広がり。下方に、その藍色とくっきり分かれた山の連なりがごつごつとした、しかし丸みをおびて真っ黒い姿で静かにある。時々、ごおっと音を立てて風や車が通り過ぎていく。車の場合は辺りが明るくなり、それが最高に達すると、すぐさま暗くなって遠ざかっていくのだ。すると、闇は光が通る前よりもその暗さを増したように思われる。
それからしばらくすると、いつまでも家へ辿り着けないんじゃないかと不安になってきて、ただしは闇に追い立てられるように歩を速めた。じわじわとした怖さがどこまでも大きくなり、初めは靄に似て薄かったそれがやがて濃くなり、心と体に重くのしかかる。いつもの通学路なのに、まるで異次元に迷い込んだようだった。そこら中の暗がりに異形のものたちがうようよしているように思われる。彼らはうつろな眼と冷たい体をしており、アメーバのように伸縮しながら合体したり分かれたりして、宙を浮かんだり脚を生やして疾走したりもできる。時々大きな口を開け、声なき叫びを上げる。そのときの無限のかなしさをたたえた、怨念に満ち満ちた表情にただしの身の毛がよだった。彼らは何をそんなに呪っているんだろう。
ただしはついに駆け出した。車の恐いほどに白い明かりが、走る彼の姿と長い影を闇にくっきりと映し出し、像を残す。彼は異形のものの一人が右肩に手をおき、他のものたちが蠢きながら彼を取り囲んでいるように感じていた。背筋が粟立ち、ぼくはどうなってしまうんだろうという疑問が頭をよぎると、彼は泣きたくなった。死や消滅が彼を待っており、それをいたむ家族の悲しむ姿が脳裏をじわじわと埋めつくしていく…その想像がどうしても本当になるように思われることが、彼には耐え難かった。その想念から逃れるため、ただしは全力で駆けた、駆けた、駆けた。
四方からの目映い照明に照らされた不気味な無人のグラウンドの横を通り過ぎ、シャッターの降りた商店や民家がまばらに建ち並ぶ大通りに出る。その道を沿って走り続け、寂寞とした、コンクリートで塗り固められた広い敷地とたくさんの倉庫を持つ工場を過ぎた。グラウンドの中心にぽつんといてこちらを凝視しながら歪めた笑いをひきつらせているものに、工場や商店の陰から次々と這い出してきてはぞくぞくと迫ってくるもの…異形のものたちはそこら中にいた。その道程でただしは何人かの人を追い越し、同じくらいの人とすれ違った。スーツ姿の会社員、二人連れの若い女性、犬を連れて散歩している老年に近い男性もいた。しかし、ただしには彼らもまた異形のものが化けた姿なのかも知れないと思われて仕方がなかった。街灯や車の明かりが露わにするその顔を見ないようにしてうつむきながら、ただしははあはあと息を弾ませながら駆けた、駆けた、駆けた。
たっぷり十五分ほども走ったただしが道を左に曲がると、そこには彼の住む団地があった。黄みや赤みや白みを帯びた、家々の明かりが窓からもれている。家族の話し声や犬の鳴き声が聴こえてくる。野菜や肉や魚を焼くにおい、おみそ汁やシチューのいい香りが漂ってくる。ようやく、ただしは深く安堵して歩いていた。息はまだまだ荒く、心臓がどくどくと打っていた。
自分の町への愛おしさが抑えきれずに胸から全身へ、全身から外界へと溢れていた。どこまでも膨らむよろこびと、どこか切ない懐かしさがあった。彼の顔はほほえみで輝いていたが、同時にその目には涙が浮かんでいた。
家がどんどん近付いてくる。ただしにとって、たった一つだけのわが家が。彼は早くお母さんや兄のこうじ、妹のかなに会いたかった。お父さんはまだ仕事から帰ってきていないだろう。そして、温かくて美味しいごはんをみんなで食べるのだ。ふと、彼は家の近くの広い空き地の前を通るところで違和感を覚えた。暗闇でいっぱいになっているはずのそこから、ちらちらする光を感じたのだった。
ただしが左へ向き直ると、そこには風に合わせて舞い散る火花に似た光の大群があった。緑を基調にして黄色や水色に移ろいながら昇り、降り、時に渦巻きながら、それは満開になった花々が散開するように豊潤な流れを成していた。光の出どころはすぐに知れた。4~5メートルほどもあるきのこが20も30も、全体が少し歪(いびつ)な輪をなすようにして立ち並び、その傘の裏側が少し沈んだ黄緑色の蛍光を強く放っていたのだ。そこにある襞にそって、それは直線に近い曲線の放射を成して輝いていた。ただしは早く家に帰りたいという切望も、家の近くの空き地にいるという実感もなくし、光の源へ引き寄せられてふらふらと歩いていった。風が繁茂した草花を波うたせ、さあさあざわざわいう音の重なりをそこいら中に放っていた。
ただしの瑞々しい黒髪の艶も、彼の大きな丸い黒目も、ふっくらとした白っぽい頬も、移ろう光の色に染まっていた。寄せては返す風の時々でざあざあと、ぱちぱちと、ふわふわと、流れて走って漂う夥しい光の粒たちは踊っているようで、笑っているようで、うたっているようでとても愛らしく、うつくしく思われた。ただしは彼らと一緒になってその祝祭を、何もかもを忘れてよろこんでいた。笑顔をうかべながら、感嘆の声をあげながら、ぐるぐると見まわしながら。彼は時々両腕を拡げて手の平を空に向け、それらの輝く胞子の群れをうっとりと感じるのだった。
まるで銀河が瞬きながら流れるように、さらに数を増して輝く光は風に命を吹き込まれて舞い続けた。その宴は時間を静止に近いほどに拡げ、同時にその密度をどこまでも濃縮させるのだった。全ての瞬間が結晶化して、ただしの心身を満たしていた。いや、自分自身としての器が溢れかえり、もはやただしはその景色と同化していた。やがて彼はそれすらも超えて途方もなく上昇して広がりながら、しかも生まれてからこれまでで最も鮮やかに『ここにいる』という確信を覚えているのだった。
きのこの散らす胞子は徐々に少なくなった。今や、それは水辺を飛びはじめたばかりの蛍たちの発する、宙を泳ぐ光のように疎らで、輝きもまた仄かだった。そこでただしは反対側へ向き直り、おだやかでやさしい心持ちで空き地を後にした。すっかり弱くなった夜風は肌寒くなり、彼の全身を撫でて過ぎるのだった。夜の町の灯りに照らされるなかで余韻にひたされて歩いていると、彼はもう家の前に立っているのだった。
ただしは呼び鈴を鳴らした。ぱたぱたという足音がして扉が開かれると、そこにはお母さんが立っていた。
「ただし、遅かったじゃない!心配したのよ」
熱をおびて彼女が言った。
「お母さん、ごめんなさい」
ただしはその愛情に満ちた叱責と、彼女がすぐ傍にいることを感じて幸せだった。涙がこみ上げてきたが、表情はほほえんでいた。
「こんな時間まで何をしてたの?まあ、服をそんなにも汚して。しょうがない子ね」
と、言いながらお母さんは胞子が白くこびりついている彼の髪や服をやさしくはたくのだった。
「ごめんなさい、ぼく、さっきまでおかしなことがあったの」
「ほら、まずは着替えなさいね。お腹も空いてるでしょう。ごはんを食べながら話しましょうね」
「うん。ありがとうお母さん」
「ほらほら、もう怒ってないから泣かないの」
彼女は手の甲でただしの目元をなでて涙をぬぐうのだった。そこで、兄のこうじと妹のかなが玄関まで駆けて来た。
「ただし、遅いよー」
「おそいー」
母の背中から顔を出しながら、笑顔の二人は口々に言うのだった。ただしはとてもうれしかった。

温かいご飯のある食卓で、ただしは向かいに座っている母に空き地での出来事を話した。
「かさみたいなあたまをした、こんなにこんなに大きいでんしんばしらみたいなものが、わになって立ってたの」
「たくさんのほしみたいな光がさくらの花みたいにふってきたよ」
「そのなかでこうやって立っていると、すごくいいきもちがしたの」
「いっしょに空をとんで、おどってるみたいだったの」
彼は身振り手振りを交えて、しきりに白いご飯や豚のしょうが焼きや刻みキャベツをぱくついて、おみそ汁をすすったり麦茶を飲んだりしながら話し続けた。
「うんうん、それから?」
「それはどんなものだったの?」
お母さんは相槌をうったり質問をしたりしながら身を入れて聞いていた。顔をただしの方に近付け、彼女は濁りのない体温をおびた眼差しをまっすぐに向けていた。彼女は話が終わると、
「ただし、良かったわねえ。また見かけることがあったら、すぐにお母さんを呼んでね」
と言った。
「え、どうして?」
「お母さんもただしと一緒にそれを見たいのよ」
子供っぽく笑いながら彼女は答えるのだった。
「そのときは、こうじとかなも一緒にね。あ、もしかして、そのきのこってヒトヨダケなんじゃないかしら。ちょっと待ってね」
彼女は自分の部屋からそそくさと図鑑を持ってくる。
「ほら、それってこんなのじゃなかった?」
「ううん、ちがうよ。もっと丸っこかったもん」
「えー。じゃあ、順番にページをめくっていくからどんなのだったか教えてよ」
「ふふ、いいよ」
「これは?」
「ちがう。もっとかさのところがほそながかったかなあ」
「じゃあ、これ」
「あ、ちょっと近いかも。でも、色がもうちょっと白かったよ」
「ふーん。じゃあ、これは?」
………

ただしは次の夜も、その次の夜もあの空き地へ行ってみた。しかし、あのきのこたちは跡形なく消え去っていた。それからも、彼は夏の盛りが来るまでほとんど毎晩通ったが、あの光景に遭遇することは一度もなかった。彼の学生服や学生帽に付いた胞子もきれいに洗い流され、それらは元の黒さを取り戻していた。しかし、それでもただしは清々しい気持ちだった。この世界には想像もつかない不思議があり、またそれに出会うことができると確信していたからだ。

今日、彼はたくさんの田んぼが広がるところまで出かけて、おたまじゃくしたちを観察する予定だった。数日前から足が生えてきたものが目に見えて増えており、その変化をおもしろく眺めていたのだ。そこまでは川沿いの道を選んで行き、途中で自転車を止め、めだかの群れが泳いでいないかも見てみるつもりだ。
「おかあさん、いってきまあす」
「はあい、いってらっしゃあい」
ただしは大きな麦わら帽をかぶって外に出ると、肌を焼く強い日差しとむわっとする熱風のなかを、車庫の陰に置いている自転車へ向かって駆けていくのだった。
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by ototogengo | 2012-05-16 21:41 | はなし | Comments(0)
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