中島弘貴
by ototogengo
中島弘貴
多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、音楽、絵、写真をやります。

2011年に解散したバンド“立体”では、うたとギターを担当。空島出版主宰。


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『青銅のきみへ』

十八歳まで過ごした生家の近くにある公園の一角に、四角く低い石の台に乗せられた青銅の像があった。それは生き生きとした男の子の像で、ベンチが幾つか備えつけられている広場のなか、丸く刈られたツゲの低木のそばに立っていた。十二歳までは毎日のように訪れて走り回ったり、砂や泥だらけになったりしながら近所の子供たちと遊んでいたその公園にも、少し遠くの学校へ進んだことによって全く足を運ばなくなった。
さて、そういった経緯からぼくは十年以上ぶりにその公園を訪れたのだった。理由は「よく晴れた昼間に塞いだ気持ちのままであてのない散歩をしていると、何となくそこへ行きたくなったから」としか言いようがない。中に入ると、砂場やブランコや滑り台のあたりで五歳から十歳くらいの子供たちが数人、わあわあきゃあきゃあと声を上げて遊んでいた。四方に生えた鮮やかな桃色や白色の躑躅(つつじ)の花は満開を過ぎて萎れているものが多く、一部や大部分が茶色くなっているものも決して少なくなかった。衰えや死を連想させるそれを見ると、ぼくの塞いだ気持ちはさらに鬱々となるのだった。見るべきものは他に何もないように思え、半ば諦めつつも期待していた懐かしい想いに満たされることがないどころか、その萌芽すらも感じられなかった。それにしても、陽ざしが眩しい。ソメイヨシノの樹に茂った葉の濃い緑までもがすっかり白く褪せるほどだった。ぼくは無感動で、その光景の白さのためか夢のなかにいるような心地でふらふらと歩きながら広場へ向かった。
そうして、ぼくは青銅の像と再会したのである。信じ難いことに、彼がぼくと同じくらいの背丈に成長していることは、遠目からでもはっきりと分かった。近づきながら、(そんなはずはない、あのころの彼は確かに十二歳のぼくと大差ない身長だった)と考えていたが、彼とぼくとの距離が縮まるにつれてそれが思い違いでも目の錯覚でもないことがますます明らかになるのだった。そんな最中、当時ぼくと彼がよく似ていると言われていたことを思い出した。家族も友達も、友達の親も口を揃えてそっくりだと言うのだった。やれ目鼻立ちが似ている、あら輪郭もそっくりよ、背の高さや髪型までも瓜二つ…そのように言われて、悪い気は決してしなかった。むしろ、うれしかったことを覚えている。当時の彼は満面の笑みを顔いっぱいに湛え、溌溂として今にもそれを羽ばたかせて飛び立とうとしているように両手を大きく広げながら走っている一瞬の姿のままでずっとそこにいたのだ。
そうやって思い出と現実との差異に混乱していると、ついにぼくは彼と間近で向かい合った。彼は不動の体勢をとってうつ向き気味で佇んでおり、しかもその表情が実に陰鬱だった!眉間に皺を寄せ、口を固く閉じ、心持ちこけた顔全体の筋肉が苦悶によって緊張しているのがぴりぴりと伝わってくる。ぼくは茫然として、ぼくにそっくりな彼とそのまま対峙していたが、ついに堪えきれなくなってその場を後にした。少し離れたところから子供たちがじっと、困惑したように真剣な面持ちで一部始終を眺めていた。今にも泣き出しそうな女の子もいた。彼らはぼくが立ち去るまで押し黙っていたが、公園を出てしばらくすると、彼らの元気いっぱいに遊ぶ声が再び聞こえてきたのだった。

間もなく都会での生活に戻ったぼくには、あの像がそれからどうなったのかを知るすべはなかった。しかし、あの日からぼくは確かに変わったのだった。ことさらに苦悩すること、それは自分自身を可愛がる一つの容易な方法かも知れないが、そうすることによって自分自身はもちろん、他の誰をも幸せにすることはない。ぼくは青銅の彼からそのことを学んだのだ。
今でも辛いことや苦しいことは時にあるが、それにこだわることなく健やかに暮しているつもりだ。そうするだけでも、何と気持ちよく生きていけることだろう。そうして自己にしがみ付くことなく生活をしていると、世界は発見で満ち満ちていることがよく分かる。ぼくの生きているのが辛かったり、つまらなかったりしたのは、自分の思いこんだ小さな現実と実際の世界とを混同していたせいだったんだと思う。ぼくが知っていること、一生をかけて知りうることなんてごくわずかで、それ以外の全ては未知なのだ!この奇跡ともいえる豊かな世界をそのままに見、そのままに接している限り、発見はいつまでも尽きることがないだろう。
あのとき以来、ぼくは青銅の彼をずっと想っている。彼の見えるものは限られているし、接することのできるものはさらに少ない。しかし、その狭さや少なさのなかにはどれだけ多くのものが含まれているだろう!あの四角い台の上から見えるものは、特別なところが何もない小さな公園のさらに小さな一角だ。しかし、観察しながら接することをやめなければ季節ごとに、天候ごとに、朝や昼や夜ごとに、いや瞬間ごとにさえ発見のないときはないだろう。世界は絶えず移ろっており、全く同じ瞬間は一つもない。だから、ああやって一か所にしかいられないからこそできる発見だって多くあるに違いない。繰り返しになるが、何かを分かりきったつもりになり、憂鬱に囚われて無気力にさえならなければ、その一つ一つを知るよろこびを持ち続けることができるのだ。
彼との再会を果たしてから、ちょうど三年のときが経った。ぼくはあの日、公園の躑躅やソメイヨシノにしか目を向けなかった。だけど、今ではもっと多くのものに目を向けられるようになっている。今日、もしもぼくがあの公園に行ったなら、地面を見下ろすと純白の三枚の花びらが三角形に近いかたちを成すトキワツユクサが見え、縦に筋のはしった五枚の花弁を縁が逸れるほどにしっかり開いたムラサキカタバミが見え、さらにはハゼラン、キキョウソウの花、その他にも名前を知らない様々な草花が見られるに違いない。蝶がそれらの蜜を吸いに来ており、その葉や茎を蟻やアブラムシが歩き、さらにそのアブラムシを食べるために天道虫がやって来る様子が見られるかも知れない。空に目を向け、その色や雲の姿や動きを観察することも、子供たちの声や虫や鳥の声に耳を傾けることも、植物たちや土の香りを体いっぱいに吸い込むこともできる。そして何よりも、あのときとはまるで違うやわらかな表情をした彼と笑って対面できるような気がする。ぼくが彼のおかげで変われたように、ぼくの大きな変化が彼を変えているように思われて仕方がないのだ。
この夏に、ぼくはあのとき以来の帰郷の予定を立てている。青銅のきみ、ぼくはきみと会えることをたのしみにしているよ。
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by ototogengo | 2012-07-10 22:44 | はなし
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