中島弘貴
多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、絵、音楽、写真をやります。
2011年に解散したバンド“立体”では、うたとギターを担当。 【SNS】 mixi 【音源試聴】 soundcloud my space お仕事のご依頼、メッセージ等はこちらまで ↓ man_polyhedron@hotmail.co.jp カテゴリ
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芥川龍之介、晩年の作品群
18~20歳の頃、晩年の芥川龍之介の鬼気迫る、従来の小説作法から脱したように思える短篇の数々にどうしようもなく魅せられた。特に『或阿呆の一生』と『歯車』、それに『河童』を加えた三篇から受けた衝撃はとてつもなく大きかった。
なんとか透徹した理性を保とうとしながらもそれが崩れてしまう、しかし考えることを伴う書くことによって何とかして持ち直そうとする…そんな余りにも危うい、宙吊りになってか細い蜘蛛の糸を手繰るように切実な緊迫がそれらの作品に強い引力を生んでいるように思われる。だが、それだけに読者は彼のそういった状態・心情に呑まれる危険性も非常に高い。だから、心をしっかりと持ってそれらの作品に臨まなければ彼のぼんやりとした不安、捉え難いだけに尚のこと深刻な不安に感染し、取り憑かれてしまう。 先に記したとおり、芥川にとって執筆に臨むことは最後にして最大の頼りだったのかも知れない。文学には、聡明だった彼がそうやって拠りどころにするに足る大きな力があるのだ。それによって人生を活かすこともできれば殺すこともできる。もちろん、彼のように活かしきれない場合もあるだろう。だが、死力を尽くして執筆することで彼自身に束の間の救いが得られていたと推測されるし、そうでなくとも、その過程で稀有な作品の数々が生まれたことに違いはない。 取り分け『歯車』や『或阿呆の一生』を読んでいると、芥川は理性を完全に失って狂う寸前で自らの命を絶ったと思われてならない。狂人になることは、彼の考えるところの作家としての死を意味する。執筆によって延命を行い、ぎりぎりのところで持ちこたえていた作家生命の最後の灯火、それが晩年の諸作品だったのかも知れない。 それらはむせるように重苦しい死の匂いに満ち満ちた、そして、だからこそ生の一瞬の閃きが極めて鮮やかに感じられ、それに焦がれもさせられる作品群なのだ。 「彼は雨に濡れたまま、アスファルトの上を踏んで行った。雨はかなり烈しかった。彼は水沫の満ちた中にゴム引の外套の匂を感じた。 すると目の前の架空線が一本、紫いろの火花を発していた。彼は妙に感動した。彼の上着のポケットは彼等の同人雑誌へ発表する彼の原稿を隠していた。彼は雨の中を歩きながら、もう一度後ろの架空線を見上げた。 架空線は不相変らず鋭い火花を放っていた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかった。が、この紫色の火花だけは、――凄まじい空中の火花だけは命と取り換えてもつかまえたかった」 (『或阿呆の一生』より)
by ototogengo
| 2012-07-23 23:09
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