中島弘貴
by ototogengo
中島弘貴
多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、音楽、絵、写真をやります。

2011年に解散したバンド“立体”では、うたとギターを担当。空島出版主宰。


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『束の間の共生』

今朝も車内はぎゅうぎゅうに混み合い、そこにいると常に人の体や衣服、鞄などの触感が全身に感じられて居心地が良いとは言えなかった。だが、そんな状況に慣れ親しんだ彼にとってはさほどでもない。彼はその通勤電車のなかで吊革に掴まっていたが、連日の勤務によって溜まった疲れがたたり、立ったままでうとうとし始めた。満員の車両においては周りの人に多少体重がかかっても咎められる気づかいはない。それはその朝の彼にとって幸いなことだった。時に人と緩慢にぶつかりながら揺られるなかでの眠りは快適ですらあった。目覚めと眠りとの狭間でたくさんの光と影、がたんごとんいう走行音や扉の開閉音、アナウンスの声や乗客の話し声などが通り過ぎていく。

彼が鮮明な意識を回復して目を覚ますと、職場の最寄り駅に到着したところだった。謝罪の声をかけながら、押し合いへし合いしつつ慌てて降りる。寝惚けが抜けきらないままで歩いていると、吊革にずっと掴まっていた右腕に違和感を覚えた。眼をやると、肩から下腕の中ほどにかけて蔓(つる)が絡み、葉が茂っていた。ところどころに、くるくると螺旋や弧を描く巻きひげも伸びている。その奇妙な現象を確認すると、彼はすっかり目が覚めた。

普段通りに雑踏する忙しなげな街のなかで、彼は微笑みながらその植物を眺め、いつもの道を行く。時々、人の踵を踏んだり、その行く道を遮ったりして怪訝な、あるいは苛立たしい顔をされながら。
植物を観察していると、驚きとよろこびとが彼を満たした。時間の経過に従って可愛らしい、目立たない白く小さな五弁花たちが開いては散る。葉が美しく色づいて黄と赤が緑に混じりはじめ、次に緑とその二色の占める割合が逆転する。さらに赤みが増し、続いて茶が加わり、緑は縁を主としたわずかな部分にしか見られなくなる。そうして、葉が一枚、また一枚と落ち始めたころに彼は職場の玄関前に到着した。ちょうど、黄みを帯びた白色をした半透明の小さく丸い実が膨らみ、熟したと思われるときだった。
彼は少しためらった後、その蔓をちぎれないよう丁寧に上着から引き剥がした。そして、職場のある高層ビルに面した通りに植えられた樹の根元、そこの土の上にそっと置いた。果実を鳥や虫が食べるか、あるいはそれがそのまま地面に落ちるか…いずれにせよ植物が命を繋ぐことができるよう願って。
(これから出勤するときは、毎回様子を見てみよう)
彼はそう思いながら、建物のなかへ入っていった。無表情な人々でいっぱいになったエレベーターに乗って二十六階へ上る。明る過ぎるほどの蛍光灯に照らされた殺風景な廊下を通ってドアを開け、いつものデスクへ向かう。上着を脱ぐと、あの植物の茎に沿った根の跡が繊維に食い込んでぽつぽつと残っていることに気が付いた。入念に払うと、ほとんど目立たない程度になったが、どうしても取れないところもいくつかあった。
(大丈夫、そんなに頑固そうでもないから、洗濯すればきれいになるだろう)
仕事にかかると、彼は電車のなかで感じられた疲れが和らいでいることを実感した。
(あの植物と過ごした短い時間が気休めになったのかな。たのしくて幸せだったもんな)
そうして、彼はあの束の間の共生に感謝し、仕事に打ち込み始めるのだった。
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by ototogengo | 2012-12-08 12:12 | はなし | Comments(0)
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