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中島弘貴
by ototogengo
中島弘貴
多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、絵、音楽、写真をやります。

2011年に解散したバンド“立体”では、うたとギターを担当。


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光の綿毛

 わたしは黄金色をおびた白い光に温かく包まれて、うつら、うっつら、うつら、うっつらと揺れていた。どのくらいの間そうしていたのか分からないが、頭が突然がくっとなって、わたしはぼんやりと目を開いた。座りこんで日向ぼっこをしているうちに眠ってしまったらしい。視界が開けた瞬間、一気に目が覚めた。そこに見える光景があまりにも鮮烈だったからだ。
 先ほど「光景」と言ったとおり、それは光の景色だった。時間が静止に近づいていたせいか、斜め向きに降りそそぐ光が具現化されて目に見えた。それは空中をゆっくりと進む、おびたしい綿毛の形を成していた。それらはゆらゆらしながら直線に近い軌道をとって放射され、金や銀をおびた白色に輝きつつ、時に淡い七色をひらめかせる。しゃぼん玉や貝殻の表面に見られるような、あるいは一定の角度から水晶を見ると現れるような、精妙な七色だ。その光景は美しい音楽のように空間を満たしていた。さざ波をたてながら細かく砕け散る、透きとおった川のせせらぎにも似て、ちらちらと、きらきらと煌めいている。絶え間なく動き続けており、同じ瞬間は決して存在しない。
 それらの光の綿毛は、たんぽぽの綿毛を連想させた。それと同じように、一つ一つが小さな種をぶら下げている。ただし、その種は茶色ではなく、まばゆい白色をしていた。
(この種は何を生みだすんだろう?)
 と、わたしは思った。興味を覚えて、それらの光の綿毛を両手でつかまえようとしたが、手ごたえはなかった。しかし、わたしの手をすり抜けたわけでもなかった。おそらく、この手と一体化したのだ。わたしは手の平を開いた。そして、それを見た。手の平は綿毛の数々を吸いこみながら明るみをおび、その縁(ふち)や指の間にある影が濃くなっていた。その瞬間、先ほどの問いの答えが、稲妻が走るようにして思いうかんだ。
(たぶん、この種はそれが触れる全てのものの像を生みだすんだろう。色を生みだして影を生みだすんだ)
 上を向けて開いたままの手の平の表面に、依然として光の綿毛の群れが吸いこまれている。すると、そこがぽうっと温かくなってきた。
(それに、この種は熱を生みだす。光というものの性質を考えると、時間や命も生みだすのかもしれないな。いや、場合によっては死さえも)
 わたしはそれらの種の源である、太陽の方を見た。燃え尽きそうなほど強烈に輝く綿毛の大群が、さらにまばゆい輝きを放つ太陽をかこむ大きな円を成して存在していた。その円の周辺を、淡い七色にひらめく無数の細い線分が絶え間なく動いている。重なり合いながら模様を成して。それは綿毛の繊維をしめす長短さまざまな線分で、近くにあるものが長く、遠くにあるものが短く見える。すばらしい光景だった。だが、わたしは眩しくて目を閉じずにはいられなかった。しかし、瞼の裏には先ほどまでの光景が焼きついていた。いや、それどころか、その模様が目を閉じる前と途切れなく繋がって動き続けていたのだ。眩しくて、今度は目を開かずにはいられなかった。つまり、目を開いていても眩しくてたまらないし、目を閉じていても同じなのだ。だから、わたしは太陽の方向から顔を逸らしたうえで目を開けた。すると、先ほどまでの光景は消え失せ、二度と戻ってこなかった。
 月日が経った今となっては、心のなかにそのときの光景の印象がおぼろげに残っているにすぎない。だが、光のさすところを見つめているときだけは、そこに無数の光の綿毛が見えるような気がする。小さな種をぶらさげた綿毛の数々がうっすらと透きとおって。
by ototogengo | 2016-11-07 20:29 | はなし
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