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中島弘貴
by ototogengo
中島弘貴
多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、絵、音楽、写真をやります。

2011年に解散したバンド“立体”では、うたとギターを担当。


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「サイシキメダカのはなし」

岐阜県岩屋郡の山中奥深くに、地満湖(ちまこ)という湖がある。
おや、と思われる方もおられるかも知れないが、この湖は通称「黒湖(くろこ)」と呼ばれ、特に鉱物愛好家の間ではその名前を知らぬ者がないほど有名である。
その理由は、地満湖の底にある珍しい地層にある。そこは、遥か昔には海底火山の中心に位置し、それが隆起して陸地になってからも別の火山活動の影響を被り、その後噴火によって地面が陥没するという変遷を経て生まれたカルデラ湖であるために、硫黄、柘榴石、石英、翡翠、菫青石、瑪瑙、黒雲母など、奇跡的に多くの鉱物を含有する地層を水底に持っている。
わずかずつ湖水に溶け出す、それらの鉱物のさまざまな成分は、それぞれに異なる色彩を持っているのであるが、その種類の豊かさからたくさんの色が混ざり、湖全体を薄い墨色に染める。また、時に特定の鉱物の成分が多く溶け出ていると、水中のごく一部にトルコブルーや橙色、柘榴色の靄が心細げに揺蕩っていることもある。さらに、色はついているものの湖の透明度は高く、水上や水中に住む動物や植物、水底の美しく角張った色とりどりの鉱石を独特の風情をもって見渡すことが出来る。となると、知る人ぞ知る名所にならない理由はどこにもないだろう。

サイシキメダカはその黒湖を住処にしている。その名の由来は彼等の腹部を横長の楕円形に染める美しい色彩にある。そして、その色は緑、紫、橙、空色、黄色、赤と多様であるが、それらは各個体の卵が産み落とされた場所に依拠する。つまり、どのような色素を含む鉱物が周囲にあったかによって腹部の色に違いが表れるのだ。
また、サイシキメダカは体の片側にしか鰓がないという特徴を備えている。一日に2、3回、火山活動のなごりで地満湖の底からサイシキメダカにとって有毒な気体が大量に、細かく透明な泡となって吹き出すことがあるのだが、その際に彼らは鰓のある体の片側を水面から出して呼吸し、命を繋ぐ。ちなみに、鰓を右半身に持つ個体数と、左半身に持つ個体数はほぼ同じであるが、それは「おどり(若しくはサイシキメダカのおどり)」と呼ばれる現象の構成要素の一つになっている。
おどりとは、有毒な気体が発生した際にサイシキメダカがとる集団行動である。水底から泡沫が発生したことを認知すると、サイシキメダカは物凄い素早さでそれらの泡から離れ、湖の底のある一点に集結し、群れ全体で螺旋形の柱を成すように、うねりながら水面を目指す。そして、水面に到達すると各々は鰓のある半身が空気に接するように半ば浮き上がったまま、全体としては花のように、中心から放射状にゆっくりと開いていき、円形に広がっていく。そして、その隊形を保ったまま、気体の吹出が過ぎるのを待つのだ。

一時期、私はサイシキメダカの美しさに魅せられ、地満湖に足繁く通っていた。おどりが見られない日も多くあったが、彼らの泳いでいる姿を眺めているだけで、時間が円やかに、豊かに感じられた。
しかし、あの夜のことは忘れられない。
月明かりが辺りの森を照らして仄かに浮かび上がらせ、水面を乳色の柔らかな薄膜で覆っていた。ふいに、おどりが始まった。昼間よりも見通しの効かない、黒い水中に、様々な色が入り乱れながら現れ、昇ってくる。そして、滑らかに開いていく。彼らのおどりはその視覚効果に反して殆ど無音で行われるのだが、その夜は辺りの静寂を一層深めているように思われた。息を呑む、時間を忘れる、とはこういった瞬間のことを言うのだろう。私は忘我して、その情景に、余韻に、浸っていた。水面がおどりの余波によって微かに揺らめき、月明かりをてら、みら、と反射していた。


(空島出版『水の生き物』より抜粋)
by ototogengo | 2008-08-22 12:59 | 空島出版
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