中島弘貴
by ototogengo
中島弘貴
多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、音楽、絵、写真をやります。

2011年に解散したバンド“立体”では、うたとギターを担当。空島出版主宰。


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カテゴリ:本や音楽などの紹介( 14 )

Brigitte Fontaine et Areski 「Le bonheur」和訳

※以下、小池はるひさんの対訳によるもの。原文か訳のために意味の取りにくいところがありますが、75年作のアルバム『Le bonheur』の日本盤に付けられた和訳を忠実に転載しました(適宜、改行だけは加えています)。


ブリジット・フォンテーヌとアレスキ「幸福」

森の中や、海の上にある炎の赤い町の中に、
そして香りのいい丘の上に、熱く、鹿毛色の美しい獣が住んでいた
ひとは皆、その獣を幸福と呼んだ
獣はどこででも、飛び跳ねて、一晩中笑い、火と踊り、狼と歌った
この物語が起こったのは、どの時代でもない、なぜなら時間なんて、
おわかりでしょう、とても神秘的なものだから

この獣はひとがくれるものを何でも食べ、乳をしぼらせ、
彼らが望めば、金の枝で彼らの中に忍び込み、そして血管と髪の毛で音楽をかなでた
ところが人々の中には、獣を嫌う人もいた それは支配の邪魔になるから
それに獣は自由で無報酬なので、市場を目茶苦茶にしたからだ
そこである日、人々は武器を持ってやってきて、獣を捕らえ檻に入れ遠くに連れていった
この物語が起こったのはどの国でもない、なぜなら国なんて、
おわかりでしょう、とても神秘的なものだから

人々が抵抗しないように、獣のコピーをたくさん作った
うんざりするぐらい、もう何だか分からなくなって、忘れ去ってしまうように
すごく悪い獣を作った にせものの獣はくうくう鳴いて、ブリッジで遊び、
夜には街角で、悲しい色気を売って、悲しいオペレットを歌い、
小さい女の子が本当の自分でなくなるようにつけられているのと同じ、ピンクのリボンをつけていた

人々は意地悪く、寂しくなり、冷たい笑いをして、お菓子を詰め込み、
怒りに満ちた素振りで人を殴り、幸福という名のプードルを、インコを軽蔑した
そしてかれらは企み通り、幸福という名の獣のことを忘れ、忘れられない人たちは、病院に入れられてしまった
ところが生まれてくるすべての赤ん坊の目の中に、あの恐ろしい獣の面影が見え、
真実の彼があまりにも熱いので、兵士が遠くに置いてきた檻の格子が溶け出しているかのようだった

私の出会ったおばあさんは、こう言った もう生きた姿を見たくないけど
“でも、獣は生きているのよ、結局はそれが、一番大事なこと”
そのおばあさんはもう死にかけている人だったから、嘘ではないと思う
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by ototogengo | 2014-02-22 23:18 | 本や音楽などの紹介

日影丈吉『暗黒回帰』序文

幼い頃、枕に小さな頭をのせて眠りに入る前に、色とりどりのビーズ玉を撒きちらした夜空が、きまって見えた。私はまだ眠っていないはずだった。が、完全に目がさめていたか確信はない。瞼の裏が無限大の闇をうけ容れ、そこに広がる粟粒大の光は、万華鏡式に収縮拡散する光の残像ではなくて、無数の天体のように固定していた。その発光ビーズ玉は銀河ほど遠くにあるらしい。それを見るのが楽しく、しばらく見ているうち眠ってしまう。そのうち、その賑やかな色の点点の集団のむこうに、まだ底知れぬ遠くまで続いているらしい闇が、すこしこわくなり、いつも変わらぬビーズ玉宇宙まで、光度の落ちた古電球のように、すこし淋しく、同時に退屈に思えて来た。それまでに何ヵ月が何年が経過したか記憶にない。あるいはもっと短い期間だったかも知れない。だが、そこに退屈を感じだすと、それは二度と見られなくなった。
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by ototogengo | 2013-12-15 00:54 | 本や音楽などの紹介

フランツ・カフカ『城』

フランツ・カフカによる未完の長篇小説『城』を再読。

城にもその下にある村にも属せないどころか、当地に家庭もなく本来の仕事もさせてもらえない異邦人である主人公K。彼は城へ近づこう、あるいは自己以外の所属を得ようとして、村の様々な場所で奮闘を重ねる。しかし、それは決して叶わない。
登場人物のほとんどが城や村、加えてそれぞれに属する人々に対して自らの見解と主張を持つが、それらが一致することはほとんどない。元々、城の規律はそれを半ば強制的に一致させようとしたものでもあると考えられるのに、皮肉にもその不一致をより大きな、より入り組んだものにしている。
Kが多くの人と一対一で交わす長過ぎる会話が執拗に繰り返され、不透明でこんがらがった城の規律と役割、それに準じざるを得ない人々の姿が浮き彫りにされる。決して読みやすくはないが、現代社会とも通じるその迷宮のような実態をまざまざと突きつけられる、一読の価値のある作品。

それにしても、真実を突きつめよう、登場人物たちの主張を詳細に書き切ろうとする姿勢が強く伝わってくる文章だ。その主張が的を射ているかどうかはともかく、ここまで合理的に考えようとする人々が多くいる世界は実在しないので、作者自身の投影か幻想が現れているとするべきだろう。そして、そんな驚くべき書き方の生真面目さは、カフカの生き方にも共通していたのではないかと思われる。彼のそのようなところを尊敬している。
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by ototogengo | 2013-05-28 19:26 | 本や音楽などの紹介

芥川龍之介、晩年の作品群

18~20歳の頃、晩年の芥川龍之介の鬼気迫る、従来の小説作法から脱したように思える短篇の数々にどうしようもなく魅せられた。特に『或阿呆の一生』と『歯車』、それに『河童』を加えた三篇から受けた衝撃はとてつもなく大きかった。

なんとか透徹した理性を保とうとしながらもそれが崩れてしまう、しかし考えることを伴う書くことによって何とかして持ち直そうとする…そんな余りにも危うい、宙吊りになってか細い蜘蛛の糸を手繰るように切実な緊迫がそれらの作品に強い引力を生んでいるように思われる。だが、それだけに読者は彼のそういった状態・心情に呑まれる危険性も非常に高い。だから、心をしっかりと持ってそれらの作品に臨まなければ彼のぼんやりとした不安、捉え難いだけに尚のこと深刻な不安に感染し、取り憑かれてしまう。

先に記したとおり、芥川にとって執筆に臨むことは最後にして最大の頼りだったのかも知れない。文学には、聡明だった彼がそうやって拠りどころにするに足る大きな力があるのだ。それによって人生を活かすこともできれば殺すこともできる。もちろん、彼のように活かしきれない場合もあるだろう。だが、死力を尽くして執筆することで彼自身に束の間の救いが得られていたと推測されるし、そうでなくとも、その過程で稀有な作品の数々が生まれたことに違いはない。
取り分け『歯車』や『或阿呆の一生』を読んでいると、芥川は理性を完全に失って狂う寸前で自らの命を絶ったと思われてならない。狂人になることは、彼の考えるところの作家としての死を意味する。執筆によって延命を行い、ぎりぎりのところで持ちこたえていた作家生命の最後の灯火、それが晩年の諸作品だったのかも知れない。
それらはむせるように重苦しい死の匂いに満ち満ちた、そして、だからこそ生の一瞬の閃きが極めて鮮やかに感じられ、それに焦がれもさせられる作品群なのだ。

「彼は雨に濡れたまま、アスファルトの上を踏んで行った。雨はかなり烈しかった。彼は水沫の満ちた中にゴム引の外套の匂を感じた。
すると目の前の架空線が一本、紫いろの火花を発していた。彼は妙に感動した。彼の上着のポケットは彼等の同人雑誌へ発表する彼の原稿を隠していた。彼は雨の中を歩きながら、もう一度後ろの架空線を見上げた。
架空線は不相変らず鋭い火花を放っていた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかった。が、この紫色の火花だけは、――凄まじい空中の火花だけは命と取り換えてもつかまえたかった」
(『或阿呆の一生』より)
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by ototogengo | 2012-07-23 23:09 | 本や音楽などの紹介

『スイスの絵本画家 クライドルフの世界』展

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昨日、渋谷のBunkamuraミュージアムで行われている『スイスの絵本画家 クライドルフの世界』展を観てきました。まずは、日本では決して有名とは言えない彼の人物紹介をします。

エルンスト・クライドルフは1863年、スイスのベルンに生まれた絵本作家です。裕福な家庭の生まれでなかった彼は、学費をかせぎながらドイツのミュンヘンで美術学校に通って絵を学びましたが、次々と亡くなった家族に対する悲しみや過労のために体をこわしてしまいます。そこで、1889年から1895年まで療養のためにアルプスのふもとパルテンキルヘンに移り住みます。その場所で花や虫などの小さな生き物を含む大自然と接しながら発想を得た絵や詩を元に、彼はその後の生涯にわたって絵本作りを続けました。

さて、彼の絵本の原画やスケッチ、風景画が約220点も集められた展示は本当にすばらしいものでした。
以前から彼の絵本の存在は知っており、手に取って眺めたこともありましたが、発刊が古いものだったせいか印刷が決して良くはなく、彼の絵の魅力を大きくは感じられませんでした。それでも、その源泉となる想像力、仕事の丁寧さには眼を見張るものがあったので今回の展示に行ってみたんですが、実物は段違いでした。
特に驚かされたのはその色です。花や葉、虫や太陽や月、空や雪などが実に細やかかつ豊かに彩られており、それに魅了されました。そして、花や虫を擬人化する想像力と創造力の結びつきにも感嘆しました。彼らの一人一人が大きな愛情をもって描かれていることが、その生き生きとした表情や仕草、彼らの纏った可愛らしくも美しい衣装などからまざまざと伝わってくるのです。
また、スケッチや風景画からも彼の観察眼と筆力の確かさ、技術の引き出しの多さが窺い知れ、それが絵本というかたちに結実されたことに感動を覚えました。
そんな彼の魔法のような絵は観る度に発見があるので、その大きな会場を二順して堪能しました。そして、それはとても幸せなひとときでした。

展覧会はBunkamuraでは7/29まで開催、それから全国を巡回する予定とのことです。興味をもたれた方は是非足を運んでみて下さい。

展覧会の詳細はこちら(リンクの先に、当展示に関するすてきな動画もあります)
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/12_kreidolf.html
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by ototogengo | 2012-06-28 12:37 | 本や音楽などの紹介

フランツ・カフカ『審判』

フランツ・カフカ『審判』を約十年ぶりに再読した。

覚えのない罪のために逮捕された男が正体の分からない訴訟に巻き込まれる。裁判所の下位の役人たちと接することはできるが、組織の上位の姿や仕組みは全貌どころかほとんど明らかにされない。訴訟の進行もまた不可解なことだらけで、例えば主人公のヨーゼフ・Kが頼んだ弁護士は半年を費やしても始めの願書すら完成させることがない。

この作品が未だに大きな説得力を持っていることは脅威であり、また残念なことでもある。それは訳も分からずこんがらがった社会に翻弄され、殺されていく人間の姿をまざまざと突きつける。カフカは観察した現在の対象を、その生々しさを損なうことなく超時代的な物語に昇華することのできた優れた作家だ。

『変身』や『審判』、『城』といった彼の代表作が強い共感を呼ばなくなるとき、社会はより良くなったと言えるかも知れない。それらの陰鬱とも言える作品群が評価されなくなったとしても、カフカには豊かな想像力と鋭いユーモアに裏打ちされた愉しい短篇も多くある。だから、そんなときが訪れるとしても彼の文学のすばらしさは損なわれないだろう。
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by ototogengo | 2012-06-27 01:37 | 本や音楽などの紹介

Boris Vian 'Le Déserteur(脱走兵)'

一体誰が本当に戦争をすることを、戦争に行くことを望んでいるというんだろう。
いつでも聴かれるべき、今こそ聴かれるべき一曲を紹介します。



Le Déserteur(脱走兵)

大統領閣下殿
お手紙を差し上げます
もしも時間があるのなら
お読みいただけることでしょう

たった今
「水曜の夜に
戦地へ出発せよ」という
令状を受け取りました

大統領閣下殿
私は戦争をしたくありません
哀れな人びとを殺すために
わたしは生まれてきたのではありません

あなたを怒らすためではありませんが
言わなければなりません
私は決めました
私は脱走します

私は生まれてから
父が出征し、
兄弟たちが出征するのをみました
そして自分の子供たちが泣くのをみました

私の母は何と苦しんだことでしょう
今は墓の中にいて
爆弾にも平気で
ウジ虫どもにも平気です

私は捕虜だった時に
妻を奪われ
魂を奪われ
愛しい過去も奪われました

明日の朝早く
私は死んだ年月に別れを告げて
扉を閉め、
旅に出ます

私は物乞いをして暮らすでしょう
ブルターニュからプロヴァンスまでの
フランス中の街道を歩いて
人々にこう訴えるでしょう

「服従することを拒否しろ
 戦争を拒否しろ
 戦場へ行ってはいけない
 出征を拒否するんだ」

もしも血を流さなくてはならないのなら
どうぞ、あなたの血をお流し下さい
あなたは偽善者だ
大統領閣下殿

私に追手をかけるなら
憲兵たちにおっしゃって下さい
私は何の武器を持っていないから
撃ち殺しても構わないと


※永瀧達治さんの訳詞によっていますが、より伝わりやすくするために少し手を加えさせて頂きました。


フランスの小説家、トランペッター、歌手、翻訳家、俳優…40年に満たない生涯で八面六臂の活動をしたボリス・ヴィアンによる一曲。曲はもちろんですが、本人による詞もこの上なく切実で、しかも少しのユーモアを含んでいてすばらしいです。
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by ototogengo | 2012-01-15 19:41 | 本や音楽などの紹介

サン=テグジュペリ『人間の土地』の序文(堀口大學訳、新潮文庫刊)

ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える。理由は、大地が人間に抵抗するがためだ。人間というのは、障害物に対して戦う場合には、はじめて実力を発揮するものなのだ。もっとも障害物を征服するには、人間に道具が必要だ。人間には、かんなが必要だったり、鋤が必要だったりする。農夫は、耕作しているあいだに、いつか少しずつ自然の秘密を探っている結果になるのだが、こうして引き出したものであればこそ、はじめてその真実その本然が、世界共通のものたりうるわけだ。これと同じように、定期航空の道具、飛行機が、人間を昔からのあらゆる未解決問題の解決に参加させる結果になる。

ぼくは、アルゼンチンにおける自分の最初の夜間飛行の晩の景観を、いま目の当たりに見る心地がする。それは、星影のように、平野のそこここに、ともしびばかりが輝く暗夜だった。

あのともしびの一つ一つは、見渡す限り一面の闇の大海原の中にも、なお人間の心という奇跡が存在することを示していた。あの一軒では、読書したり、思索したり、打ち明け話をしたり、この一軒では、空間の計測を試みたり、アンドロメダの星雲に関する計算に没頭したりしているかもしれなかった。またかしこの家で、人は愛しているかもしれなかった。それぞれの糧を求めて、それらのともしびは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っていた。中には、詩人の、教師の、大工さんのともしびと思しい、いともつつましやかなのも認められた。しかしまた他方、これらの生きた星々のあいだにまじって、閉ざされた窓々、消えた星々、眠る人々がなんとおびただしく存在することだろう・・・・・・。

努めなければならないのは、自分を完成することだ。試みなけれならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じ合うことだ。



…………………………………………………………………………………

あまりにもすばらしいので紹介させて頂きました。何て真摯でうつくしい、あたたかい心の現れた文章だろう。
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by ototogengo | 2011-12-09 01:24 | 本や音楽などの紹介

The Red Krayola/Fingerpainting

Fingerpainting

The Red Krayola / Drag City


これはやさしい混沌だ
音の焦点が外れるところと合うところを行ったり来たり
穏やかな気持ちのときに流すとそれが深まり、滅入りそうなときに流しておくと心が休まる
うたも演奏も、実に有機的で人間くさい
豊かな音楽

60年代から現在までアメリカはテキサス、イギリス、ドイツ、再びアメリカはシカゴと、場所を変えて音楽活動を続けるメイヨ・トンプソン率いるレッド・クレイオラが99年に発表したアルバム。
名作という声も高い、ジム・オルークやジョン・マッケンタイアたちシカゴ音響派のお歴々をメンバーに迎え、このバンド特有の捩れを残しつつも浮遊感を加えることに成功した前作の『HAZEL』は、彼らの長いキャリアのなかでも最もポップな作品であったと思えるのだが、本作はそれとはかなり趣を異にしている。このアルバムにおいては、まとまりを成さない音の群れが現れ、消えながら時間の経過に従って楽曲を形作っていき、それが再び分解するという過程が繰り返されるのだが、楽曲に焦点が合った部分でさえも演奏が洗練されているとは決していえない。しかし、その音楽としてのずれや違和感がやさしく、やわらかく流れているので、全編をとても心地よく聴くことができるのだ。同じような手法で作られた彼らの1stアルバム『The Parable of Arable Land』と比べれば、本作がどれほど成熟した豊かなものになっているのかを、さらに明確に知ることができるだろう。衝動や激しさにおいて、本作はあちらに及ぶべくもない。しかし本作を聴いていると、30年の時を経て、それらがいかに有機的に深まったのかということを感じずにはいられない。

誰にでも薦めることのできるアルバムではないが、自分は何度聴いても新たな驚きを感じられる本作が大好きである。ちなみに、メイヨ・トンプソンのソロ作『Corky's Debt to His Father 』に次ぐ、彼の和やかで美しい歌が多く聴けるアルバムは本作である、とも思う。
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by ototogengo | 2010-03-18 03:56 | 本や音楽などの紹介

odyshape

Odyshape

The Raincoats / Geffen Gold Line Sp.

スコア:


70年代後半から80年代前半のイギリスで活動していたガールズバンドの二枚目のアルバム。

耳に残る簡素なフレーズを積み重ねるギターにベースに鍵盤、どたばた、とことこ、ぱたぱた、しゃかしゃかしたドラム、生々しい音で震えて伸びるヴァイオリン、そして、すてきにやわらかく奔放な、歌心に満ちた声。それらが溶け合っている。

女の子そのもののような、やわらかくやさしい、魔法のような音楽。これらの音楽はどこからやってきたのか。稚気、歓喜、悲哀がせめぎ合い、混じり合いながら流れていく。悲哀…そうや、彼女たちの音楽には悲哀が少なからずある。特にこのアルバムにはその比重が大きく感じられる。湿って纏わりつくことのない、悲哀の上澄み。

かわいくて、うつくしいのだ。
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by ototogengo | 2009-11-16 03:16 | 本や音楽などの紹介