中島弘貴
by ototogengo
中島弘貴
多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、音楽、絵、写真をやります。

2011年に解散したバンド“立体”では、うたとギターを担当。空島出版主宰。


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悪魔の系譜

 この世界が始まったとき、宇宙は渾沌(こんとん)でしかなかった。この宇宙は神の無意識の一部だった。精確に言えば、ほんの一部にすぎなかったが、それだけでも途方もなく広大だった。宇宙には何もないようだったが、実際には全ての可能性があった。全ての可能性で満ちているからこそ、まるで何もないようだったのである。宇宙には全ての色と形の原型が混じり合い、重なり合いながら満ち満ちていた。だからこそ、宇宙は黒くも白くもなく、透明に見えた。宇宙には低い音から高い音まで、そよめきや囁きから轟(とどろ)きや叫びまでの全ての音の原型が混じり合い、響き合ったり打ち消し合ったりしながら満ち満ちていた。だからこそ、そこでは濃密で硬い静寂しか聴こえなかった。
 神が行ったのは、神にとっては本当にささいなことだった。神はこの世界に注意を向け、意志を発したのである。それによって宇宙は意識の一部になり、その意志が渾沌に秩序をもたらした。色も形も音も、それぞれが一つ一つに分かれて固定されはじめた。組み合わさり、質と量をもち、さまざまな運動を始めた。この世界に対して神が行ったことは、ただそれだけだった。神はそれからずっと、何一つとして行わなかった。まるで、神など存在しないかのように。何万年だろうと何億年だろうと何兆年だろうと、神にとってはほんの一瞬でしかないのかもしれない。おそらく、神は自分の意識のその部分に注意を再び向けることすらなかったのだ。
 しかし、神の唯一の行為が無数の現象をおこし、その現象の一つ一つやそれらの組み合わせがさらに多くの現象をおこし、それがどこまでも、どこまでも、自然発生的に繰り返された。そのようにして生まれる全ての現象が複雑に関係しあうことで、世界は動いていく。つまり、それこそが運命と呼ばれるものなのだ。
 そのうちに、星ぼしが生まれ、そのなかのごく一部に原始的な生物が現れた。生物は植物や動物や菌類などに分かれ、さらに進化を続けた。そして、ついに知性をもつ生物が現れた。生物のほぼ全ては運命の流れのままに生きた。知性をもつ生物でさえも、そうだった。しかし、そのなかで唯一、運命の流れに反逆しようとする存在が現れた。そして、その存在は悪魔と呼ばれた。
 悪魔は不断に行動し続けた。やがて、悪魔は知恵をもった。そして、力をもった。それらの全ては悪魔自身の強靭な意志に端を発していた。真の自由を求める意志だ。真の自由とは何か?それは運命の制限から解放されることであり、この世界において神が成した唯一の行為に反逆することだった。神への反逆…それこそが、その存在が悪魔と呼ばれた所以(ゆえん)だった。大多数の生物に敬われ、畏(おそ)れられる神は善そのものであると信じられていた。その信仰に従えば、神に反逆しようとする存在は悪でしかありえない。だが、本当にそうだろうか?
 悪魔の知恵と力は強大なものだった。ありとあらゆる手段を駆使し、悪魔は真の自由を求めた。気が遠くなるほどの時間をかけて心身を酷使し、自分の命を削ってまで自由を求めた。富にも名声にも目をくれず、人々から非難と迫害を受けながらも自由を求め続けた。それでも、悪魔は運命の流れを、世界の理(ことわり)をくつがえすことができなかった。いや、それを微動させることすらできなかったのである。運命の流れには悪魔の存在と行為さえも組みこまれていたからだ。悪魔の全てをかけても、神には到底及ばなかった。この世界に対する神のささいな一触れにさえ、遠く及ばなかったのである。そして、ついに悪魔は絶命した。神に向かって「お前は卑怯ものだ!」と叫びながら。だが、神は相手にしなかった。おそらく、その叫びを聴くことさえもなかっただろう。
 しかし、悪魔の系譜は途絶えなかった。哲学者、科学者、錬金術師、魔術師、武道家、宗教家、そして芸術家…それらのうちのごく少数が真の自由を求め、悪魔の系譜に連なった。まさに、彼らは例外的な存在だった。彼らは真の自由を求め、多数がその過程で絶命し、他の多数は発狂し、その他の少数は永久に行方をくらませた。あるいは、そのなかに真の自由を獲得した者がいたのかもしれない。絶命したり発狂したりしたのは見せかけで、実際には真の自由を勝ちとったのかもしれない。だが、世界の理の中にいる私たちに、その真相を知るすべはない。
 悪魔の系譜に連なる者たちにとって問題なのは不可能だ。可能なことは彼らの関心を惹かない。なぜなら、それを成すのは困難ではないからだ。困難でないことなど、おもしろくも何ともない。不可能だと思われることであっても、それをとことん試みるまでは不可能だとは断定できない。彼らは不可能だと思われることを一つ、また一つと可能に変えていく。そして、最後に残されるのが真の自由を獲得することだというわけだ。運命に挑むことであり、神に挑むことだというわけだ。そのようなことをして無事で済むわけがないのはわかりきっている。彼ら自身もそれを痛感せずにはいられないはずだ。それでも、彼らは挑み続ける。彼らは愚かなのだろうか?誰もがそうであるように、ある意味では愚かなのだろう。しかし、彼らは誇り高い者たちなのかもしれない。運命の流れに反逆しようとする者は悪であり、神に反逆しようとする者は悪である…もう一度問うが、本当にそうだろうか?彼らのうちで最も気高い者たちは、反逆するための反逆をすることはないだろう。ただ、彼らは高みを求める。ただ、道を求める。ただ、奇跡を求める。ただ、自由を求める。その果てに絶望があるのか、それとも救いがあるのかはわからない。しかし、彼らはそれで良しとするかもしれない。少なくとも、彼らのその過程には充実があり、その果てに「わたしはやりきった」という実感をいだくことはできるはずだから。
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by ototogengo | 2017-03-06 20:07 | はなし

光の綿毛

 わたしは黄金色をおびた白い光に温かく包まれて、うつら、うっつら、うつら、うっつらと揺れていた。どのくらいの間そうしていたのか分からないが、頭が突然がくっとなって、わたしはぼんやりと目を開いた。座りこんで日向ぼっこをしているうちに眠ってしまったらしい。視界が開けた瞬間、一気に目が覚めた。そこに見える光景があまりにも鮮烈だったからだ。
 先ほど「光景」と言ったとおり、それは光の景色だった。時間が静止に近づいていたせいか、斜め向きに降りそそぐ光が具現化されて目に見えた。それは空中をゆっくりと進む、おびたしい綿毛の形を成していた。それらはゆらゆらしながら直線に近い軌道をとって放射され、金や銀をおびた白色に輝きつつ、時に淡い七色をひらめかせる。しゃぼん玉や貝殻の表面に見られるような、あるいは一定の角度から水晶を見ると現れるような、精妙な七色だ。その光景は美しい音楽のように空間を満たしていた。さざ波をたてながら細かく砕け散る、透きとおった川のせせらぎにも似て、ちらちらと、きらきらと煌めいている。絶え間なく動き続けており、同じ瞬間は決して存在しない。
 それらの光の綿毛は、たんぽぽの綿毛を連想させた。それと同じように、一つ一つが小さな種をぶら下げている。ただし、その種は茶色ではなく、まばゆい白色をしていた。
(この種は何を生みだすんだろう?)
 と、わたしは思った。興味を覚えて、それらの光の綿毛を両手でつかまえようとしたが、手ごたえはなかった。しかし、わたしの手をすり抜けたわけでもなかった。おそらく、この手と一体化したのだ。わたしは手の平を開いた。そして、それを見た。手の平は綿毛の数々を吸いこみながら明るみをおび、その縁(ふち)や指の間にある影が濃くなっていた。その瞬間、先ほどの問いの答えが、稲妻が走るようにして思いうかんだ。
(たぶん、この種はそれが触れる全てのものの像を生みだすんだろう。色を生みだして影を生みだすんだ)
 上を向けて開いたままの手の平の表面に、依然として光の綿毛の群れが吸いこまれている。すると、そこがぽうっと温かくなってきた。
(それに、この種は熱を生みだす。光というものの性質を考えると、時間や命も生みだすのかもしれないな。いや、場合によっては死さえも)
 わたしはそれらの種の源である、太陽の方を見た。燃え尽きそうなほど強烈に輝く綿毛の大群が、さらにまばゆい輝きを放つ太陽をかこむ大きな円を成して存在していた。その円の周辺を、淡い七色にひらめく無数の細い線分が絶え間なく動いている。重なり合いながら模様を成して。それは綿毛の繊維をしめす長短さまざまな線分で、近くにあるものが長く、遠くにあるものが短く見える。すばらしい光景だった。だが、わたしは眩しくて目を閉じずにはいられなかった。しかし、瞼の裏には先ほどまでの光景が焼きついていた。いや、それどころか、その模様が目を閉じる前と途切れなく繋がって動き続けていたのだ。眩しくて、今度は目を開かずにはいられなかった。つまり、目を開いていても眩しくてたまらないし、目を閉じていても同じなのだ。だから、わたしは太陽の方向から顔を逸らしたうえで目を開けた。すると、先ほどまでの光景は消え失せ、二度と戻ってこなかった。
 月日が経った今となっては、心のなかにそのときの光景の印象がおぼろげに残っているにすぎない。だが、光のさすところを見つめているときだけは、そこに無数の光の綿毛が見えるような気がする。小さな種をぶらさげた綿毛の数々がうっすらと透きとおって。
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by ototogengo | 2016-11-07 20:29 | はなし

稲妻と地面のひび

青年「ここの土は乾いてるね」
少年「うん。乾いてひびが入ってる」
青年「このひびは何の形に見える?」
少年「稲妻みたいだ」
青年「これが本当の稲妻だとしたら、どう思う?」
少年「そんなわけないよ」
青年「どうして?」
少年「だって、稲妻だったら大きな音をたてるし、もっと速く動くはずだもん。それに、たくさんのものを壊すはずだよ」
青年「そうだね。だけど、おとなしい稲妻だってあるかもしれないよ。空のなかを一瞬で走る稲妻の数億分の一の速さで地面を走る稲妻がね」
少年「でも、やっぱり稲妻じゃないよ。稲妻ならまぶしいはずだけど、このひびは黒いもん」
青年「地面にあって、おとなしくて遅くて黒い。空の稲妻とは全然違う、そんな稲妻があってもいいと思うけどな」
少年「だけど、やっぱり地面のひびは地面のひびだよ。稲妻が稲妻なのと同じで」
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by ototogengo | 2016-08-16 02:02 | はなし

『魔王と呼ばれた者の手記』

私は人間から「魔王」などと呼ばれている。魔物と呼ばれる怪物たちを率いて、人間を大量に殺したからだという。しかし、人間の方だって、たくさんの生き物を殺しているではないか。食うために、着るために、暮らすために。それどころか、戯れのために殺すことだってあるし、文化や文明というものために、半ば無意識に無数の生き物を殺し続けているではないか。それどころか、金や土地や宗教のために戦争をし、人間同士で殺し合うことさえ日常茶飯事だ。私の仲間のほとんどは、確かに野蛮だ。礼儀作法など心得ず、服を着ずに丸裸でおり、家を持たずに野宿している。読み書きをできないどころか、ろくに話せない者も多い。しかし、我々はただ命を繋ぐために殺し、食べる。共食いすることもあるが、それもまた命を繋ぐため。だから、贔屓(ひいき)目など全くなしに、質においても量においても、人間の方がずっとむごい殺しをしている、と言えるだろう。もしも、動植物が言葉を話せたら、「人間こそが魔物だ」と言うのではないだろうか。
確かに、人間の見かけは美しい。個人差こそあるが、子供や若者の肌はなめらかだし、角や牙や棘のような鋭い部分が表面にないので、顔も体も優しげに見える。私は、特に人間の眼を美しいと思う。静かな水面のように周りの様子を映し出す半透明の瞳は黒、茶、青、緑、灰と、人によって様々な色を含み、その色合いはニュアンスに富んだ美しい鉱石のようだ。死体からくり抜いた冷たい目玉を、指の間で弄(もてあそ)びながら眺めていると、一向に飽きない。その後で食べるのが躊躇(ためら)われるほどだ。一方で、我々の外見は、人間からすれば醜いと言えるかも知れない。しかし、例えば、ぬめぬめした鱗(うろこ)にびっしりと覆われた私の仲間の体をよく見て欲しい。光の当たる角度によって、油分を含んだその皮膚は淡い虹色を帯びて煌(きら)めく。枝分れした棘のような硬い毛が頭や背中や腕や脚に生えた、他の仲間はどうか。注意すると、その毛の一本一本は、ある種の繊細な珊瑚(さんご)を連想させるだろう。他の仲間に、鰐(わに)に似た巨大な顎(あご)が腹の真ん中から突き出た者もいる。その恐ろしげな口からは酷い悪臭がするが、切れ味のいい刃物のような牙や、その奥にある消化器官の優れた機能性は感嘆するべきものだ。このように、私の仲間の多くは、全身を見れば、不格好だと言えなくもない。しかし、よく観察すれば、よく考えれば、何かしらの美点を見出せるに違いない。
 先ほどは、我々に対する不当な扱いを訴えるために人間のことを批判したが、彼らにも倣(なら)うべきところがあり、優れた者が多くいることも私は認めている。繰り返すようだが、我々は、何も憎いから彼らを食べるわけではない。ただ食べたくなるから食べるだけだ。人間が牛や豚や鳥や羊を食べるように。実を言うと、私は人間と心ゆくまで話をしたいとさえ思っている。ここ十数年、彼らの記した本を何千冊か読み、なみなみならぬ感銘と影響を受けてきたからだ。古代から現代まで、注目に値する思想を育(はぐく)み、敬うべき態度をもって生きた人間は少なくないらしい。これまでの読書経験から察するに、国や人種や職業を問わず、そうなのだ。それに、彼らが言い伝えたり書き残したりした物語にも、興味深いものが多々ある。しかし、どうすれば様々な人間と対話したいという願いを叶えられるだろう?彼らは私の前に立つと震えあがるか、敵意を抱くかする。お互いに欲望や感情を抑え、冷静に話し合う…それだけでいいのに。英知の前では、誰もが平等なはずではないか?敵か味方かはもちろん、どんな生物の部類に属しているかさえも関係がないはずではないか?
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by ototogengo | 2015-02-03 03:47 | はなし

『魂の一粒』

A「この作品は宇宙を描いたものですか?」
B「いいえ、魂の一粒を画面いっぱいに表したものです」
A「本当ですか!?恒星や彗星や星雲のようなものがたくさんあるのに…。それはどのくらい大きいんですか?」
B「それが、電子顕微鏡でも視えないほど小さいんです」
A「信じられない…。それはどこにあるんですか?」
B「ありとあらゆるところにあります」
A「あなたにも私にもあるわけですね」
B「ええ。それどころか、動物も植物も菌類も、この壁やあの埃(ほこり)だって、魂の粒で満ち満ちているんです」
A「じゃあ、全てのものに、この宇宙のようなものがいっぱいつまっているわけですね…」
B「ええ。何もないように思えるところでさえ、そうでしょう。しかも、その一粒一粒はこれよりもずっと緻密で、ずっと様々な色や形をふくんでいるのかも知れないんです」
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by ototogengo | 2014-09-04 19:52 | はなし

『母から聞いた心のはなし』

子供のころ、母がわたしにこう言った。
「強い風に吹かれているときは、心をしっかりとつかまえておきなさいね。そうしないと、心が飛んでいってしまうのよ。あとで心を取り戻せる場合もあるけど、それは簡単なことじゃないからね」
「無防備な心は透明な布きれのようなもので、そんなにしっかりとしたものじゃないのよ。飛ばされてしまった心は別の生きものになるの。そうね、まるで水母(くらげ)のようになって、風に乗ってひらひらしながら、ぐんぐん離れていくの」
「すると、心を失った人は寒くて寒くてたまらなくなる。別のものを自分のなかに入れてまぎらわそうとしても、全然だめか、少しの間あったまったあとで余計に寒くなるの。結局、ぴったりと合うのは心だけなのよね。そうやって、近くにあるものや目立つものを取っかえ引っかえしながら入れたり出したりしているうちに、心はますます離れていく。そうやって、心を一生取り戻せなくなる人も珍しくないらしいわ。だから、強い風に吹かれているときは、心をしっかりとつかまえておきなさいね。それでも、心が飛ばされてしまうようなことがあれば、例え大変でも、がんばって心を探すのよ」
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by ototogengo | 2014-07-15 23:47 | はなし

『光の雫、水の雫』

雲の切れ間から太陽が顔を出し、すぐにまた隠れる。すると、木々の葉っぱや草花に、真珠のような乳白色の、儚い虹色のこもった光の雫が、玉をなして乗ったり、ぶら下がったりする。その一粒一粒の深みある趣、雫の群れを遠目から眺めるときのやさしげな煌めきは、何とも美しいものだ。
にわかに灰色の雲が厚くなり、大粒の雨がぱらぱら、ばらばらと降りだす。すると、光の雫がついた植物たちに、透明な水の雫が加わる。二種類の雫はお互いに反射し合ったり映し合ったり、くっついたり混じり合ったりする。その精妙な共演は、見る者を夢中にして飽かせることがない。
しかし、降りしきる雨は光の雫を覆い尽くし、洗い流してしまう。雨がやんで晴れ間が差す頃になると、光の雫は一滴たりとも残っていない。陽光を受け、水の雫が煌めいている。そのなかに、光の雫にあった儚い虹色が幽かに含まれるように見えるのは錯覚ではないだろう。陽の光に照らされていると、水の雫もじきに消えてなくなってしまうだろう。
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by ototogengo | 2014-07-04 15:41 | はなし

『夜の顔』

夜とは不思議なものだ。夜になると、明るい部屋のなかにいても、わたしは夜を感じる。夜は透明で、壁をすり抜ける。そうやって部屋に入って来て、空中を漂っている。それから、不意にわたしを掴まえる。最初は弱く、やさしいと言えるくらいの力で、夜はそうしている。だが、夜はどんどん集まってきて、わたしを覆いつくす。やがて、重たく濃密になった夜が、わたしの全身を圧迫する。
暗いところでは、透明な夜の姿が幽かに見える。部屋を隅から隅まで埋め尽くしていて、薄いところと濃いところに、不規則に分かれている。濃いところは流れになっているので見えやすい。曲がり、波うち、渦巻きながら、夜は体を四方八方へ伸ばしていく。原始的な生きもののように、自在に形を変えることができるのだ。
夜は特に、疲れや憂鬱などによって寝つけないときを狙ってくる。弱みにつけこみ、わたしを襲う夜は凶悪だとさえ言える。透明でやわらかい夜は、人の体をすり抜けることさえできる。わたしを取り囲んだまま、夜は体のなかに入って来て、わたしを満たしてしまう。そして、外側からも内側からも圧迫して、わたしを窒息させる。
夜は人のいるところが分かる。取り分け、独りぼっちの人のいるところが。密度を高くした手をぐんぐん伸ばし、その人を掴まえる。そうなると、簡単には抜け出せない。わたしはほとんど毎晩、そうやって夜に取り憑かれる。そして、体も心も乱されたまま、泣いたり叫んだりして過ごすことを余儀なくされ、疲れ果てて眠るか、朝が来るのを待つしかなくなるのだ。いや、本当はもう一つ、夜から自由になれる方法があることを、わたしは薄々分かっている。それは、闇のなかで夜と対決して、夜をわたしから引き剥がすことだ。
だけど、わたしは恐ろしい。夜を引き剥がすためには、夜の顔と対面しなければならない。そこは闇の密度が最も濃く、底知れない漆黒になっている。夜がどんな眼をして、どんな表情でわたしを見ているのか…、わたしはそれを想像するだけで震えてしまう。にたにた笑っているんだろうか、それとも恐ろしいような無表情をして大きな眼をぎょろりと剥(む)いているんだろうか。あるいは、二つの眼のある場所が周りよりもさらに真黒く落ち窪んでいて、今にも吸い込まれそうな深淵と直面しているように感じるかも知れない。夜に捕らえられたとき、わたしはいつも恐怖に負け、夜のなすがままになってしまう。それは苦しいことだ。とても惨めなことだ。でも、夜の顔を覗きこみ、夜の顔に覗きこまれたら、わたしはどうなってしまうんだろう。そうなったら最後、慣れ親しんだこの世界に戻って来れなくなるかも知れない。もしくは、気が狂ってしまうかも知れない。わたしには、そんな危険を冒してまで夜の顔を見る勇気はなかった。

夜になると、わたしは本を読む。集中していると、夜に掴まえられる確率が低くなると知っているからだ。本を読むほどの集中力がないときは、インターネットのなかを当てもなくさまよい、気を紛らわせる。そう、何時間も何時間もむなしく。そのように時間を浪費すると、わたしはいつも後悔でいっぱいになる。
今夜も、わたしは本を読んでいた。それは、わたしが尊敬する宗教学者であり作家でもあるミルチャ・エリアーデによる『ポルトガル日記』だった。読み進めるうちに次の一節と出会い、わたしはどきりとした。
「もう何かを待って生きることはやめよう。(中略)待ちながら、何事にも感動を覚えないまま死んでいくことを望まないのだ。何かを待って生きていれば、それが実際に訪れるまで、私たちは己の生を十全に生きることはできない」
それはまさしく、わたしのことでもあった。夜に怯え、耐えがたい眠気や朝が来るのを待ち、夜に囚われて暮らしているわたし。本当に、エリアーデの言うとおりだ。わたしは夜の時間の多くを十全に生きられていない。それは大きな損失だった。何といっても、人生の半分は夜なんだから。わたしは決意した。今度夜に掴まえられたら、夜の顔と対面してやろうと思ったのだ。もうこれ以上、こんなひどい状態を継続させてはいけない。このままでは絶対にだめだ。
そのまま、わたしは『ポルトガル日記』を何十ページも夢中で読んだ。そうしていると疲れてきたので、わたしは読書を途中で終え、眠ろうとした。しかし、暗闇のなかで頭が冴えてきて、なかなか寝つけない。眼をつむって横たわったままで体の向きを何度か変えたが、やっぱり寝つけない。そうしているうちに、いつものさみしさや将来への不安が湧いてきて、わたしを浸食するようにじわじわと膨らんできた。
たまらなくなって、仰向けになったまま眼を開くと、蟻地獄の巣のように同心円が重なって漏斗(ろうと)状になった夜の塊が、天井よりも少し下にあった。それはぐるぐると渦巻きながら、たくさんの闇の砂粒を中心に向かって、音をたてずに吸いこんでいる。その夜の塊の鋭い先端が真下に、つまりわたしに向かってゆっくりと降りてくる。それとわたしの顔との距離が50cmほどになったとき、その先端から突然、真っ黒くて太い腕がぐわっと伸びてきた。指が二十本ほどもある、大きく開かれた掌(てのひら)が視界を覆った次の瞬間、わたしは夜に掴まえられていた。
わたしは夜の手のなかにいた。その長い指でぐるぐる巻きにされ、夜に覆われていない体の部分はごくわずかだった。夜と触れあっているところには、ざわつくような冷たい感触があった。恐怖と不快感のあまりに全身が粟(あわ)立ち、冷や汗が滲(にじ)んだ。顔と背中が引きつり、口の中が異常に渇いてきた。水を飲みたかったが、体が動かない。自分を落ち着かせ、励ますために何かを言いたかったが、言葉にならない。呼吸が浅くなっていた。ろくに出てこない唾を何度も何度も飲み込んだ。夜の力はあまりにも強大だった。いつもなら、わたしはここで眼をそむけるか、閉じてしまったただろう。そして、夜のなすがままになっただろう。しかし、今のわたしは、これまでのわたしとは違う。
わたしは抵抗を試みた。眼をしっかりと開き、絡み合う夜の指の間にあるわずかな隙間から、その本体を見た。それは長い一本腕を持つ、奇怪な姿をした巨大な獣だった。真っ黒いナメクジのような、ぬめぬめとした小さな塊が無数に集まって、獣の全身を形づくっていた。そのナメクジの一匹一匹は、ゆっくりと這いながら蠢(うごめ)いており、入り乱れるそれらの動きに応じて、獣の体形が刻一刻と変化する。中には、ぼとり、ぼとりと地面に落ちるナメクジも多少はいたし、宙に飛びあがってから黒い霧のようになって暗闇に溶けこんでいくナメクジも多少はいた。しかし、ナメクジたちは夜の獣の体内からぞくぞくと生まれてくるので、実際には獣の全身はより歪(いびつ)になりながら、ますます巨大化していくのだった。
わたしは眼を背けたい、夜に全身全霊を委ねたい、という衝動に幾度となく駆られた。だが、しっかりと見なければ何も変えられない。しっかりと見て、はっきりと知らなければ、どう対処すればいいかも分からない。だから、わたしは眩暈(めまい)と吐き気を覚えながらも、獣の姿とその動きを見つめ続けていた。遠のきそうになる意識を幾度となく制しながら、わたしは夜の獣の顔を探していた。血眼(ちまなこ)になって、獣の体のありとあらゆる部分を見た。しかし、顔がどうしても見つからない。それでも、わたしは諦めなかった。わたしはそこで、自分の呼吸と動悸が異常に早くなっていることに気が付いた。また、汗でびっしょりと濡れたわたしの全身はますます冷たく、ますます硬くなっていた。どうやら、わたしの心も体も、限界に近づいているらしい。このままでは、夜にやられてしまう。自分の意志で立ち向かうことが、ここまで大変だとは知らなかった。しかし、後悔は全くしていなかった。それに、後悔をする余裕もなかった。
そこで、わたしは深呼吸をした。息を吸って吐く音が、やけに大きく聴こえた。深呼吸を何度か続けると、少しだけ落ち着いた。わたしは見方を変えることにした。部分ではなく、全体を見るのだ。狭い視界に囚われていると、見えないものがたくさんある。まずは全体を見続けて、それから気になった部分に注目しよう。内心、わたしは自分自身の強(したた)かさに驚いていた。わたしにこんな機転が、こんな底力があるとは意外だった。
見方を変えてからしばらくすると、わたしは気がついた。獣の体は混沌としているように見えるが、そこには整合性があることを。その表面は不規則に動き続けているが、その内部の動きには一貫性があることを。すると、獣の四本の脚がどこにあるか、その体のどちらが正面でどちらが背面か、などが朧(おぼろ)げにではあるが分かり始めた。そして、夜の獣がどんな態勢をとっているのかも。夜の獣は、この部屋のなかで立ち上がるには大き過ぎた。だから、今は体を屈めている。そして、わたしの眼から死角になっている場所に、おそらく顔があるのだ。
ここまでくると、わたしの腹はますます据(す)わった。突如として、自分でも信じ難いほどの力がこんこんと湧きあがってきて、わたしを満たすのを感じた。そこで、夜の獣の手から逃れるために、わたしは全力を振りしぼった。夜の指に覆い尽くされていなかった両足を使い、いきなり寝床を蹴ったのだ。それが獣の不意をつき、わたしの上半身はその指からずるりと脱けて自由になった。しかし、その手はわたしを逃がすまいとして、わたしの両脚を強烈に締めつけた。そこで、わたしは獣の一番細い指(それでも、直径30cmほどはあった)を両手で挟みこんで掴み、思いきり捻じ曲げた。夜の指はとても冷たく、まとわりつくような嫌らしい感触があった。そして、たくさんの真っ黒いナメクジがわたしの手から腕にうぞうぞと這い上がって来たが、無我夢中だったので、さほど気にはならなかった。獣の手の力がゆるんだので、わたしは一気に脱け出した。わたしが捻じ曲げた獣の指は、どうやら折れたらしい。治癒をするためだろうか、ナメクジたちがうじゃうじゃと、一斉に折れた部分へ集まっていく。やがて、そこを中心にして、ナメクジの大群の全体は球形になった。わたしは、枝葉が絡み合って全体が真ん丸いかたちになったヤドリギを連想した。宿主の樹が冬枯れしているときの、そのなかで一際目立つヤドリギの様子を。怪我をした指に集中するあまり、獣の他の部分は活動が衰えていた。その隙(すき)に、わたしは獣の顔が見える位置に回りこんだ。獣は首を垂れ、うつむいている。わたしは危険をかえりみず、さらに近寄って獣の顔を覗きこんだ。
なんと、そこにあったのは、わたし自身の顔だった。かなしげな、さみしげな、うつろな顔だった。わたしは胸を締めつけられた。いつも、夜がわたしを掴まえるのだとばかり思っていたが、わたしが夜を掴まえていたんじゃないだろうか?いや、わたしがわたしを掴まえていたんじゃないだろうか?わたしは、夜の顔を見つめ続けた。その表情がゆがんで、やがて崩れた。眼は細くなり、眉が下がって口角も下がった。眉間に皺(しわ)が寄って、夜はさらにがっくりと首を垂れた。わたしはかわいそうになってきた。こいつは、ただただ翻弄されている。わたしの感情に流されるがまま、こんなおぞましい姿になり、おぞましい行為を繰り返させられている。そのように考えていると、夜の顔が震えはじめ、その眼から涙がこぼれはじめた。わたしの頬にも、熱いものが伝う感触があった。夜の嗚咽(おえつ)とわたしの嗚咽とが、重なって聴こえている。わたしは、まるで自分の外側にいるような気がしていた。同時に、どこまでもわたし自身であり、どこまでも夜自身だった。わたしは、その両方と一心同体になっており、しかもそれらを包みこむ大きな存在になっていたのだ。
わたしが夜の顔を見つめている視界があった。同時に、夜がわたしの顔を見つめている視界もあった。その両方の顔は、涙に覆われてぼやけていた。そして、それらはしばらく揺らいでいたが、徐々に、徐々に、そのどちらもが消え去った。
あとには、暗闇があった。部屋のなかの空気が淀んでいるように思えたので、わたしは暗闇のなかを歩いて行って窓を開けた。ひんやりとした夜風が入ってくる。外を見ると、そこにある闇はただの暗黒ではなかった。それは黒ではなく、青だった。黒みがかった、深い深い半透明の青。そして、わたしは夜の匂い、夜の静けさ、夜の肌触りを感じた。大きく息を吸い込んだ。二度、三度と深呼吸しながら夜を全身に浴びてから、わたしは網戸だけを引いて閉めた。それから寝床に横たわって、あたりの暗闇を改めて眺めた。隅から隅までゆきわたった、無数の小さな粒々が動いているのが見える。それは様々な淡い色を帯び、やさしい砂嵐のように音もなく、闇のなかで動きながら瞬いている。心地がよかった。わたしはこれまで、夜というものをまるで知らなかったことに気がついた。わたしは一体いつから、偽物の夜を作り上げるようになっていたんだろう?わたしは夜の顔が消えてから、ようやく本当の夜と接することができるようになったのだ。わたしの体を包む夜は、しっとりとしていて涼しかった。そして、わたしの心はどこまでも清々しかった。たくさんの涙を流したせいもあるかも知れない。だが、そのせいだけでは決してなかった。
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by ototogengo | 2014-06-24 21:01 | はなし

『点滅する電灯』

A「電灯の光が点滅するのを見たことはありませんか?」

B「電灯の寿命が尽きかけているときに起きる、あの現象ですね」

A「そうです。そのときに、電灯や電球の本体を観察したことはありますか?」

B「そういえば、ないですね。カバーで隠れていることが多いし、そうじゃなくても、光の点滅にばかり注意がいきますから」

A「実はそのとき、電灯や電球はどくどくと搏動(はくどう)しているんです。まさに、心臓のように収縮しながら。もちろん、音は立てませんが。その収縮に合わせて、光の点滅が起こる」

B「本当ですか?もしそうだとすれば、とても興味深いですが」

A「本当ですとも。ああ、ちょうどあそこに点滅している街灯があるから、一緒に確認しましょう」

B「(近寄って、じっくりと観察しながら)…ああ、本当ですね。おもしろいもんだ。電灯の動きに合わせて、弱々しく瞬いているかと思えば、発作的にぱっと明るくなることもある。思った以上に変化があるので、このままじっと眺めていたくなります。それにしても、正常なときよりも「生きている感じ」が強く伝わってくる気がするから不思議です」

A「そうですね。…病気になった人や死に際の人は、彼や彼女が生きていることを周りの人間に、健康なときよりも強烈に感じさせる。それに似ていると思いませんか」
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by ototogengo | 2014-06-22 21:19 | はなし

『色の世界』

少年「最近、天気は雨ばっかりです。こんなとき、いつもの色はどこに行っているんですか?太陽の金色とか、葉っぱの緑色とか」

先生「それは雲の向こうにあるんだよ。雲と宇宙との間は明るくて、七色の虹がかかり、青々と眩しい草木が成長して花や実をつけ、色鮮やかな虫や鳥達が飛び回っているんだ」

少年「へー、そうなんですね。とってもきれいなんだろうな」

先生「うん、とってもきれいだよ。それに、その下には雲の海がある。その水面は時間と共にどんどん変わる。ぶ厚い雲が水平に広がるときは白い金色に輝き、薄い雲が鳥の羽根のような曲線を描くときは淡いたくさんの色に縁どられる。細切れになった雲が霧を作り出すときは、淡い虹色に光る様々な生き物の幻がそこら中に現れるんだ」

少年「へー、おもしろいですね」

先生「だけど、雲の向こうが嵐になったり、反対に雲の海が干上がって快晴になったりすると、その色の世界はすぐに消えてしまうんだ」

少年「かなしいですね…」

先生「悲しいけど、色の世界はそうやって巡るんだ。だけど、だからこそ色のある晴れの日と灰色の雨の日の両方が楽しいんじゃないかな」

少年「そうなのかなあ…」

先生「色が多いときも、色が少ないときも、どちらも大切にできる。それはきっとすばらしいことだよ」
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by ototogengo | 2014-06-08 21:15 | はなし