中島弘貴
by ototogengo
中島弘貴
多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、音楽、絵、写真をやります。

2011年に解散したバンド“立体”では、うたとギターを担当。空島出版主宰。


【SNS】

twitter

facebook

mixi


【音源試聴】
soundcloud

my space


お仕事のご依頼、メッセージ等はこちらまで ↓
man_polyhedron@hotmail.co.jp
カテゴリ
全体
はなし
空島出版
出演、出展
言葉
言語
日記

写真

手紙
共作
本や音楽などの紹介
気休め
音楽集団“立体”
歌詞
未分類
その他のジャンル
記事ランキング
画像一覧


カテゴリ:はなし( 78 )

『殺害』

鼻に何かが軽く触れたので、眠りから覚めた。薄暗闇のなかで目を開くと、怪物が目の前にいた。緑色をした全身、大きな丸い目がこちらを凝視している逆三角形の顔、ほっそりとした長い首、折り曲がっているが心持ち開かれた二本の鎌。それが大蟷螂(おおかまきり)だと気づくのに、時間はかからなかった。こんなにも間近で蟷螂を見たのは初めてだった。意識が半ば眠っていたせいもあって、わたしは大きな恐怖と混乱に襲われた。
(すると、さっき鼻に触れたのは蟷螂の鎌だったのか)
そう思って、わたしはぞっとした。昆虫は嫌いではないのに、抑えがたい嫌悪感と危機感を覚えた。蟷螂は、わたしが何ものであるかを見極めようとするかのように、こちらへの凝視を怠らないまま、少しだけ首をかしげた。
わたしはとっさに上半身を素早く起こした。もちろん、蟷螂に注意を払いながら。蟷螂はぴくっと硬直したかと思うと、すぐに体ごと斜め後ろに振り返り、敷き布団の上を跳ねるようにして横ぎり始めた。シーツの皺(しわ)を巧みに避け、蟷螂は驀進(ばくしん)する。わたしはひどい近視なので、蟷螂が遠ざかるにつれて、その姿がかすんでいく。今や緑色のぼんやりしたものにしか見えないそれは布団から飛び出し、椅子や姿見がある部屋の隅へ向かっている。暗闇と相まって、その姿はすぐに見えなくなった。
(どうしよう)
と、わたしは考えた。蟷螂をこのまま放っておいて眠るなんて、できそうにない。どう転んでも大したことにならないのは分かっている。だが、自分がぐっすりと眠っているのに、何ものかが同じ部屋のなかを動き回っているというのは気持ちが悪い。小バエや蟻くらいなら無視することもできるが、大蟷螂ほどの大きさになるとだめだ。わたしは、もはや見えなくなった蟷螂を見つけ出すために、周りを手で探って眼鏡を求めた。しかし、こんなときに限って見つからない。
そこで、わたしは立ち上がって電灯の紐を引っ張り、部屋を明るくした。眼鏡はいまだに見つからないが、辺りの様子は分かりやすくなった。椅子の背後と姿見の背後を順番に覗いてみる。すると、姿見の後ろに緑色のものがいた。
(できれば、殺さずに外へ逃がしたい。でも、そのためにはどうすればいい?取りあえず、蟷螂を窓の方へ追いやろう。それから窓を開けて、何とかして外へ出そう。よし)
そう考えたわたしは、壁際に置いていた布団叩きを手にし、丸く広がった先端を蟷螂に突きつけるようにして近づけた。案の定、蟷螂は窓の方へ駆け出した。ただし、完全に思った通りの方向へというわけではなく、走りながら布団へ再び近付いていく。わたしは布団叩きを持ったまま追うが、その意外な速さのために蟷螂を見失ってしまった。明るいところでも、わたしの眼は1m先でさえ、ろくに見えない。だが、見失う直前に、緑の影が進む方向を変えて布団に肉迫するのを見たような気がした。
(敷き布団の縁(へり)に身を隠したか、それとも敷き布団と掛け布団の隙間にもぐりこんだか、だな)
わたしには、後者の場合がとても恐ろしく思えた。蟷螂と寝床を共にするなんて、想像しただけで背筋が凍る。そこで、掛け布団を何度もひっくり返して調べたが、蟷螂の姿はどこにもなかった。わたしは焦った。室温はさほど高くないのに、顔と体が汗ばんできた。だが、こんなときこそ冷静になる必要がある
(まずは、眼鏡をもう一度探そう。周りがよく見えるようになれば、きっと解決するだろう。蟷螂が影も形も無くなるなんてことはありえないんだから)
と、わたしは考えた。目を細めながらきょろきょろと見まわすと、間もなく長机の隅に眼鏡を見つけた。それを掛け、一気に鮮明になった視界のなかで、改めて蟷螂を探す。座布団をのけ、カーテンを開いては閉じ、家具や家電の後ろを覗きこみ、掛け布団をもう一度ひっくり返し、敷き布団の色んな場所を持ち上げては下を覗きこむ。そうやって部屋中を隈なく探したが、見つからない。どこから蟷螂が飛び出してくるか分からないので、びくびくものだった。
細心の注意を払って調べたので、しばらく続けると疲れてしまった。すると、蟷螂をこんなにも恐れていることが、ばからしく思えはじめた。
(そうだ、あいつがどう出ようが知ったことじゃない。寝ているときに何かが起こったら、そのときはそのときだ)
わたしは心のなかできっぱりとそう言い、
「ばかばかしい。来るなら来い」
と、実際に声を出してつぶやいた。そして、眼鏡を外して電気を消し、思い切って布団に入った。内心不安だったが、幸いにも、そこでおかしな感触を覚えることはなかった。少なくとも、わたしが体を横たえた場所に蟷螂はいなかったのである。元々中途半端な時間に目覚めたし、程よい緊張と運動を経たせいもあってか、すぐに意識が遠くなった。

朝。外はよく晴れているようで、カーテンの隙間から黄金色の陽光が差しこんでいた。目を覚ましたわたしは、仕事へ行く準備をするために、まずは布団を畳むことにした。収納を終えた掛け布団に次いで敷き布団を二つに折ると、ぼんやりとした緑色のものが現れて、わたしは驚きのあまりにびくっとした。そう、蟷螂だ。けれど、その緑色は床の上で微動だにしない。すぐに眼鏡をかけ、蟷螂が息絶えていることを確認する。だが、ぼんやりしている暇はない。出かける準備をしなければならない。わたしは蟷螂をそのままにして、朝食をとり、歯磨きをし、着替えをして身だしなみを整えた。そうしながら、一つの命を奪ったのに、いつもと変わらない準備をしている自分に違和感を覚えていた。
(だけど、わたしも生きなければならない。だから、こうする以外に仕方ないじゃないか)
わたしはそう考えて自分を慰めた。
いつもよりも急いで支度を済ませたので、家を出るまでに数分間の余裕ができた。わたしは床に横たわる蟷螂の方へ近寄った。鎌を含む六本の脚が、体の前方で折り畳まれていた。首の延長線上にある鎌の付け根あたりがぽっきりと折れており、体にくっつかんばかりの位置に顔があった。十中八九、これが死因だった。わたしが気づかないうちに、敷き布団と床の間にでも挟まれて折れたんだろう。おそらくは昨夜、敷き布団を何度か持ち上げては戻したときに。畳まれた脚と折れた部分の他は、死んでいるようにはとても見えない。血は出ていないし、体の色も艶も昨夜と変わらない。改めて見ると、蟷螂が妙にきれいだと思った。思い切ってその背中をつかみ、持ち上げてみる。そのときに頭がぷらんと揺れたが、折れた部分がちぎれることはなかった。長机の上にそっと置いて観察する。すると、半ば開いて背中からはみ出している、薄茶色を帯びた透明の翅(はね)に惹きつけられた。それには網目状になった細かい脈が走っている。その透明な部分は陽の光を受けてちらちら、みらみらと白色や黄金色に煌めいている。その様子はとても美しかった。そうしているうちに、蟷螂が愛おしくすら思えてくるから不思議だった。昨夜、生きて動いているときにはあんなにも忌み嫌っていたのに、動かなくなってからこんな気持ちを抱くなんて、ひどい話だ。我に返って時計に目をやると、家を出るべき時間を過ぎていることに気がついた。早歩きすれば、まだ間に合う。わたしは机の上にある蟷螂の死体をもう一度見た。そして、急いで荷物を持って靴を履き、外へ出た。
玄関を出ると、温かい陽の光に包まれた。さわやかな風が吹いている。いくらか淡い色をした青空に、様々な形をした白い雲がぽつりぽつりと浮かんでいる。わたしは歩き慣れた道を早足で進みながら考えた。
(なんでこんなにも、もやもやするのか。例えば、こうして歩いているだけでも、蟻を踏み潰しているかも知れない。それに、わたしは毎日二~三回食事をする。食べるということは他の命を頂くことだ。ついさっきも、罪悪感を少しも覚えずに鶏の卵とたくさんの米つぶを食べたし、昨日だって鯖や豚の肉を体の中に入れたじゃないか。そういったことと蟷螂を誤って殺したことの何が違うっていうんだ)
そうやって考えるわたしの周りを、景色が通り過ぎていく。道の両側に草木が生い茂っている。蝶やテントウムシや小さな羽虫がまっすぐに、またはひらひらと、または弧を描いて飛んでいる。スズメやカラスやヒヨドリなどのさえずりが近付いては遠ざかっていく。道を行く人の足音や話し声が聴こえ、そこらにある家から生活音が聴こえてくる。わたしはこの道を歩くのが好きだった。時間に追われてさえいなければ、いろいろなものを眺めながら、光や風を感じながら深呼吸して、ゆっくりと進みたいところだ。今朝は美しいと言えるほどの良い天気だったので、なおさらだった。わたしは考えを再開した。
(いや、今さっき考えたことと、昨夜の事件には明らかな違いがある。蟻を一匹も踏み潰さないようにするためには、いつも体を屈め、下を向き、細心の注意を払いながら進まないといけない。それに、他の命をずっと食べずにいるのは、まず無理だ。その二つを実行しようとすれば、生活に支障をきたす。だけど、昨夜の蟷螂に関しては、もう少しだけ気をつければ殺さずにすんだ…。わたしは、恐怖心や嫌悪感によって余裕をなくした。そんな取るに足らない感情に囚われて、一つの命を奪った。蟷螂と同じように、わたしが自分の何十倍も大きな存在に殺されたとしたら、どうだろう?しかも、その理由が同じようにつまらないものだったとしたら?…だけど、亡くなったものを生き返らせることはできない。犯した過ちを取り消すことはできない。今後同じようなことが起きたとき、繰り返さないように気を付けることしかできない。…そうだ、そうしよう)
考えを終えると、間もなく駅に着いた。それから列車に乗って仕事へ向かった。
[PR]
by ototogengo | 2014-05-27 21:36 | はなし

『こびりついた夜』

新月の日や雲の多い日に、列車が夜通し走る。次の朝になると、黒い煤(すす)や黴(かび)を思わせるものが流れるような模様を描き、車体をまだらに覆っている。それは、丸一晩をかけて夜闇がこびりついたものなのだ。
そのようにして付着した夜闇を、日差しのもとで見る。すると、それは黒色のうちに虹の何十倍も多くの淡い色を移ろわせ、金属光沢をまじえながら、慎ましやかに光る。その様子は、レインボーパイライトと呼ばれる種類の黄鉄鉱を連想させる。
夜闇がいかに厖大な色彩を孕んでいるか、なぜ私達はこんなにも夜に惹かれるのか。今日、初めて目の当たりにしたそれが、以上の不思議に対する答えの一端を知らしめたように思う。
[PR]
by ototogengo | 2014-04-03 21:42 | はなし

『空気の精のくしゃみ』

A「春に強い風がよく吹くのはなんでだろう?」

B「そういえば、春の強風や嵐は、花粉症にかかった空気の精たちのくしゃみだっていう話を読んだことがあるな」

A「随分とスケールの大きいくしゃみだね。花粉症の歴史は浅いから、それは古代からのものじゃなくて現代の神話だろうね。ロマンは大いに認めるけど」 

B「いや、実は花粉症と思われる症状が、紀元前のヨーロッパや中国などでも記録されていたみたいなんだ。だから、その話が古来からあってもおかしくない」 

A「すると、空気の精も僕たちと同じように苦しんできたわけだ、親近感が湧くね。しかも、彼らは二千年以上も苦しんでいる可能性があるのか…同情するよ。ところで、その話はどこで読んだの?」 

B「それがどうしても思い出せないんだ。ローマかギリシャ神話関連だった覚えがあるんだけど。家に帰ったら、目ぼしい本を調べてみるよ。おれ自身も気になるし」

A「うん。そんなことを話していたら、この突風だ。花粉をものすごくたくさん運んでいるんだろうな」

B「ああ、たまらないね。今日も家に帰ったら、目と鼻が大変だろうな」

A「うん、最近は喉にもくる。だけど、そろそろピークだろうから、もう少し辛抱すればきっとましになるよ。がんばろう」

B「ああ、がんばろう」
[PR]
by ototogengo | 2014-03-21 21:24 | はなし

『幽霊と地球外生命体と』

「一説によると、幽霊や妖怪と呼ばれるようなものの正体は地球外生命体であるかも知れない、とのことです」

「詳しく説明すると、こうです。目に見えない一つの、あるいは複数の天体が、一部分か大部分において地球と接する軌道を描いて公転している。我々地球人からすると、その天体と地球とが接触しているそのときに、その星に住む生命体が地球上に現れたと感じられるのです」

「そのように星と星とが接しても、ご心配されるような大災害は起こりません。その星にも、そこに住む生命体にも、我々のような実体はないので、我々と接触しても地球上の物質同士がぶつかるような反応は起こりえないからです。それらは、物理学や化学などに代表される我々の活動を決定づける自然法則とは異なる理(ことわり)に基づいて活動しています。その説においては、だからこそ幽霊や妖怪と呼ばれるようなものが、我々には信じ難い行動や変身をできると主張されています。例えば、空中浮揚をしたり、瞬間移動をしたり、背や首を異様に長く伸ばしたり、触れもせずに人や物を動かしたり、不可解な方法で火を吹いたり発光したり未来を予知したり…といった具合にですね」

「しかし、彼らからすれば、我々こそが信じ難い行動をしているのかも知れない。あちらにとって当たり前のことがこちらにとっては謎、あるいは驚異であり、逆もまた然り、という可能性は十二分にあります。人間同士でさえ、ある人と他のある人の間にはその類の相違が多分に存在するのですから、当然の帰結であると言えましょう」
[PR]
by ototogengo | 2014-01-21 18:56 | はなし

『花期の長い火花』

今日の昼間、中庭にある炉で鉄を熱しては、台に乗せて金槌で叩いた。赤白くなり、半ば透きとおるまで熱くなった鉄の塊を次から次へと替え、合計で何百回も何千回も叩いた。わたしはそうしているといつも、叩く度に想定不可能な動きを見せて飛び散る火花の美しさに惹き込まれて無我夢中になり、時間を忘れる。
ところで、空気の乾燥と無風のためか、今日の火花は異常に花期が長く、無数の点や線となって飛び散ったそのままの姿で空中や地面にとどまった。それらが燃え移るのを危ぶんだわたしは、人の通りそうなところや草の生えているところなどに水をかけて消火した。しかし、危険にならないであろう火花はなるべく多く残すようにした。夜になってもそれらが消えなければ、大した見ものになるだろうと考えたからだ。昼日のなかでは幾分見えにくい火花が、夜闇のなかで鮮明に見える様子をわたしは想像したのである。
やがて、夜がきた。その時までに、見落として消し切れなかった火花が上着に二、三の小さな焼け焦げを作っていたが、それだけの甲斐はあった。残された火花は、ほとんど衰えることなく熱と光とを保っていたのである。様々な明度と白~黄~橙の濃淡をもった輝く点や線が中庭の一角に密集し、闇のなかからくっきりと浮かび上がっていた。それこそ花が咲くような、あるいは小さな飛沫が散るような、またあるいは風にそよぐ稲穂のような様子をして。わたしは注意を払いながら、地表近くの火花だけに水をかけて消火した。そのあとで、ビニールシートを地面に敷いて仰向けに寝転がったのである。
そこから見える光景は想像を軽々と超えるものだった。ところによって密度の異なる火花の点や線の広がりは、流星や彗星が数多く降る最中で静止した星空を想わせた。そして、その向こうには本当の星空があったのである!澄みわたった冬の夜空には星ぼしが火花と同じくらい多く瞬き、火花よりも色は淡いが、ずっと玄妙な色みと光り方をしていっぱいに広がっていた。さらに、時期が良かったのか、流れ星の静かにすべっていく様子が頻繁に見られた。こちらで星が流れはじめた一瞬後にあちらでも流れはじめる、もしくは一斉に幾つかの星が流れるときも何度となくあったほどである。視える宇宙と視えない宇宙とが二重写しになっている…夜空の星ぼしと火花の群れを遠近(おちこち)に見ながら、わたしはふと、そんなふうに考えた。宇宙というものは人が目にする夜空よりも、途方もなく広い。そのような宇宙にある、普段は視えぬ数え切れない星ぼしのほんの一部がこれらの火花の群れとなって顕れている…。わたしは人智の及ばない宇宙の広さ、そしてその密度を想うと気が遠くなった。恍惚と形容してもいい、快さに満たされた眩暈(めまい)を覚えたのである。
[PR]
by ototogengo | 2013-12-19 20:47 | はなし

『彼の草の毛』

髪の毛、髭、眉毛、その他もろもろ…彼の体に生えるありとあらゆる毛は、注意を払わなければ、他の人のものと大して変わらないように見える。しかし、それらの実体は細長く尖った単子葉類の草なのだ。例えば、身だしなみのために髭や眉毛を引っこ抜くと、根っこがするすると出てくる。あるいは、途中でぷつんと切れる。 彼はそのように抜いた毛や自ずと抜け落ちた毛を親指と人差し指の間に挟みながら転がし、もてあそぶのが好きだと言う。
陽の明るい日、彼はよくご機嫌になる。張りのある毛が光を受けて美しく輝くし、柔らかな影を落とすから。風の吹く日、彼はよくご機嫌になる。髪の毛が揺れてこすれ合い、草原のようにさやさや、しゃらしゃらと鳴るから。その音といい、繊細かつ力強い形といい、瑞々しい緑色といい、彼は自分の毛を自慢に思っている。
ただし、おいしい葉に誘われて、鼻のなかや耳のなか、わきの下などに小さな虫が度々入って来ることには困惑している。いつまでもそのくすぐったさに慣れないし、何とか取り出そうとしてその虫を殺してしまうこともあるから。また、初夏から秋にかけて、彼が自然の多いところにいると、虫たちは草の毛を目指し、大群隊を成してやって来る。それは深刻な悩みの種だった。虫たちは彼の毛をむしゃむしゃ、しゃくしゃくとむさぼり食い、取り分け毛の密集する髪や眉を不格好にしてしまう。だから、そんなとき、彼は帽子を深くかぶって予防せねばならない。冬になれば帽子なしで済むかと言えば、そんなことはない。むしろ、自宅以外のどこにいても帽子をかぶらねばならなくなるのだ。なぜなら、その季節、彼の毛は茶色く枯れ、縮れたり折れたりした後で抜け落ちてしまうから。

彼は「自分の毛のすばらしさを多くの人に見てもらいたいのに、それを示す機会が少なすぎる」とよく嘆く。そんなとき、「どの季節の、どんな状態のあなたの毛にもそれぞれの良さがある」と言って慰めるのだが、決して納得しない。あげくの果てに、「君はぼくとは違うから、君には絶対に分からないよ」と彼は吐き捨てるように言う。草の毛を持つ当人にしか計りがたいことがあるのは確かだろうが、草の毛を持たない人の意見に少しは耳を傾けてもいいのではないか、と思う。「そうじゃないと、立場の違う人同士は永久に分かり合えないよ。それほどさみしく、つまらないことはないじゃない」…つい最近、同じ話題が出たとき、力を込め、声を震わせて私がそのように説くと、彼は神妙な面持ちで聴いていた。こうまで人と人とは分かり合えないのか、どうしてこんなことでいがみ合わねばならないのか、とやり切れなくなり、私は泣きそうになったが、何とかこらえた。すると、「うん、すごくさみしいね。そうだよ、いつまでもこんなことじゃだめだ」と彼は応え、その眼から大きな涙が一粒、二粒とこぼれ落ちた。そのとき、彼の緑色の上睫毛にくっついた小さな真ん丸い涙の雫が震えていて、それが妙に美しかった。
[PR]
by ototogengo | 2013-09-22 22:50 | はなし

『影の食事』

「人の影は、食べ物の影を食べて生きています」

「人は基本的に、明るいところで食事をします。あまりにも暗いところにいると食べ辛いし、美味しさも損なわれるように感じられますからね。だから、基本的には人が食べ物を口にすると同時に、人の影が食べ物を口にしている様子も見える。それこそが、影が食事をとる姿だというわけです」

「しかし、暗闇のなかで長くいると、人の影というやつは盗み食いをすることがあります。この林檎は、本体は手付かずなのに影の上部が欠けています。ほら、こうやって光を当てると、歯形のついている様子までもがはっきりと分かるでしょう?」

「これは、私の影が齧った跡なんです。私の影は盗み食いをするのが癖になっていましてね…。私が暗い場所にいるときや寝ている間はもちろん、明るい場所にいるときでも、どうにかして食べようとしやがるんです。この間も本を読んでいたら、私の影が篭(かご)に入った苺の影に手を伸ばしているところを見つけたので、その手をひねりあげてやりました。ははは、まったく…油断も隙もない、食い意地の張ったやつだと思いませんか」
[PR]
by ototogengo | 2013-04-15 17:47 | はなし

『缶詰』

ずっと昔から仕事場の倉庫の隅に放置している、保存食の入った箱のことをふと思い出した。それはあの大震災の直後、有事の際の備えとして用意したものだった。

次に仕事場へ出向いたとき、わたしは倉庫に入った。埃の積もった箱を取り出してそれを払い、意を決して20年以上ぶりに開ける。すると、中から微かな水音がちゃぷちゃぷと聞こえてくるではないか。音の源は、とうに賞味期限の切れた鰯の缶詰だった。恐る恐る缶を開けると、生き返った二匹の鰯が窮屈そうに入っており、油で濁った液体の中で体をひらひらさせて泳ぎたがっている。
続いて、他の缶も開けてみる。乾パンは意外にも異状がなかったが、桃の缶詰は外観からして変わっていた。内部から缶を突き破ってか弱い枝が伸びており、半ば萎れた葉がついていたのである。太陽光の決して届かない箱のなかにずっと置かれていたので、元気がないのは当然だ。
それから、わたしは枝と密接した缶を苦心の末に切り外し、根っこにへばりついていた、乾いてしわくちゃになった果肉を丁寧に取り除いた。ちなみに、その弱弱しい桃の樹は果肉の水分とそれを浸していたシロップを養分にして育ったらしく、缶の中に水分はほとんど残っていなかった。

わたしはその小さな樹を自宅へ持ち帰り、庭の一角にある、日当たりのいい場所に植え直した。一週間、二週間と経つうちに桃の樹は元気になり、枝も葉もすくすくと伸び始めた。どのくらい先になるかは分からないが、花や実をつけるのがたのしみである。
ところで、その桃の樹のすぐそばに小さな池がある。実は、そこにあの生き返った二匹の鰯を住まわせていたのだ。缶のなかで暮らすうちに環境への高い適応力を身に付けた彼らは、その淡水のなかでも難なく暮らしていた。しかし、いつの間にかそのうちの一匹の姿が見えなくなった。大方、池の周囲に時々やって来る白鷺(しらさぎ)にでも食べられてしまったのだろう。もう一匹は仲間がいなくなって寂しがる様子もなく、これまで通りに泳ぎ回っている。
[PR]
by ototogengo | 2013-04-06 21:37 | はなし

『越境をする』

その人は越境をする。例えば、壁や絨毯やカーテンや布団カバーなどに何らかの模様が描かれていれば、そのなかへ入って人間の姿に象(かたど)られた模様の一部に変身する。その模様に実のなった植物があしらわれていれば、それらの果実の一つを取ってこちらへ戻って来ると実物になり、代わりに模様のなかのそれが消えている…といった具合に、あちらのものをこちらに持ち出し、こちらのものをあちらへ持っていくこともできる。
その人は越境をするので、本のなかへ入ることもできる。それが小説であれば新たな登場人物の一人となるし、画集であればその画風どおりの姿に変わって絵のなかに現れる。辞書ならその人の名前の一項目が加わるし、学術書や図鑑など、本文に出番がないものならページの端やカバーの裏などに、名前の文字や小さなシルエットへと姿を変えてこっそり介入する。

その人はそんな越境を実にたのしく続けてきた。
そうするうちに自分と他のものとの区別がつかなくなるかと思いきや、自分自身を遥かによく知るようになった。さまざまに異なる物事のなかへ身を投じることで、自他の差異をより多面的、かつより深刻に実感できる。だから、その経験を積めば積むほど、そういった差異をなくすように自身の存在を変える、より巧みな越境が可能となる。その人はその人自身に他ならず、それでいて如何なる対象にも馴染めるというわけなのだ。
偏見をもたず、ごく丁寧に対象を見極め、自分をそれに出来るだけ合わせて共存していく。そのように、多くの越境を体験するなかで共通して顕われる自分の傾向が、性質が、その人をその人たらしめている。個とは、固定されたものに限らず、運動や成長を含む総体なのだ。そのような個は信じ難いほどたくさんの面を備えており、異なる状況と出会うごとにその一面、もしくは数面に光が当たって反射が生まれ、それが反対に世界の一部を照らし出す。
だから、その人は自分らしいだとか自分らしくないだとかに煩わされることなく、種々雑多な越境を続けていく。その行き先はハンカチに刺繍された数種類の小鳥たちによる規則的なパターンのなかであったり、自然の作用によって一枚岩の表面に現れた海岸にも似た風景のなかであったり、天使と空と草花の描かれたステンドグラスのなかであったり、いろいろな星たちの瞬いて煌めく夜空のなかであったりする。そのような越境の経験によって、自分自身と世界とが運動や成長、連環をする様が実感され、その双方の実体がより明らかになるのだ。

(さあ、今日はどこへ行こうか)
その人はそう思いながら、これからどんな発見に出会えるのかと、とてもわくわくしている。その人は決して飽きることがない。自分自身も世界も、尽きることのない豊かさに満ちている、もしくは満たすことができると知っているからだ。その人は、知れば知るほど知らないことが多くなるとますます強く理解してきたし、これからも理解していくだろう。
そうして、知ったかぶりや決めつけによる境界を決して作らず、他の誰かがそのような虚偽によって築いた境界にも決して囚われることのないその人は、越境をして未知と出会い続ける。地続きとなったこちらとあちらとを限りなく自然に、呼吸をするようにして行き来しながら。
[PR]
by ototogengo | 2013-03-31 18:11 | はなし

『受粉者の独白』

花粉を浴び過ぎたせいか、五日ほど前から皮膚の一部が粟立ち始めた。何てことはないだろうと放置していると、その小さな一粒一粒が徐々に膨らんで果実になった。観察すると、主におでこの髪がかからない部分、頬と顎、首の周囲、手の甲のあたりに結実している。要するに、外出時に肌が露出していたところに集中して実っているらしい。受粉したということだろうか。

おかげで、私はさまざまな場面で随分と苦労している。職場では、長らく関係を結んできた得意先と交渉する任を解かれ、ひたすら事務に当たらされている。家庭では、感染を恐れる妻と子供から隔離されて過ごしているから、食事の時も就寝時も孤独だ。風呂場では湯船に浸かることが許されずにいるし、洗濯物は他の家族のものと決して一緒にしてはならず、自分で洗って干さねばならないという始末。街中に出ると、好奇や嫌悪の眼差しでじろじろと見られるし、人混みにおいても電車内においても私の周りには誰一人として近寄らない。
自分自身としても気味が悪いので、何度も果実を引っ張って取ろうとしたが、予想以上にしっかりとくっ付いている。さらに力を入れると強烈な痛みが走るので、無理をして引きちぎるなんてとてもできない。 どうやら、皮膚と一体になっているらしい。

仕方がないので、熟してからもいでみようと思う。流石に、その頃になれば簡単に取れるだろう。いや、取れて欲しい。
…それにしても、そうして収穫した実は果たして美味しいんだろうか。仮に美味しかったとしても、自分の体から成った実を食べると考えれば、複雑な心境にならざるを得ない。それは1クッションを置いた、ゆるやかなカニバリズムということになるんじゃないか。その果汁は血のように紅いか、膿のような白か黄色をしている…そんな想像をすると、ますます気持ちが悪くなった。
もしかすると、私が収穫する前に鳥たちがついばみにやって来るかもしれないし、虫たちが群がるかも知れない。そのときは、どのように対処すればいいんだろう。彼らの食事の邪魔はしたくないが、あまりにも痛かったりくすぐったかったりすると大変だ。可愛い小鳥や穏やかな蝶や甲虫ばかりではなく、凶暴なやつや生理的に受けつけないやつも来るだろうし。

ちなみに、私は重度の花粉症である。目の痒みや鼻詰まり、くしゃみといった基本的な症状はもちろん、体のだるさや発熱にも毎年悩まされている。その上、こんな面倒な事態になるなんて、花粉とはとことん相性が悪いらしい。しかし、不満を言っても仕様がない。だって、花粉の散布は植物の営みの大切な一環に違いないんだから。要するに、どうにか折り合いをつけてやっていくしかないんだろう。

…いや、待てよ。その実がどんなものになるかはともかくとしても、その種がどのように育つのかが気になる。草になるんだろうか、それとも樹になるんだろうか。どんな葉っぱや花を付けて、どのくらいの大きさまで育つんだろう。せっかくだから、愛らしい草か立派な樹にでも育って欲しいものだ。
そうやって考えるうちに、それが植物と私との合いの子に当たるのではないかという推測に辿り着く。うーん、ますます複雑な心境になってきた。とすれば、やがて生まれるのは植物と人間の合わさった生命体になる可能性が高いと考えられる。果たして、それはどんな(以下、略)
[PR]
by ototogengo | 2013-03-30 21:42 | はなし