中島弘貴
by ototogengo
中島弘貴
多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、音楽、絵、写真をやります。

2011年に解散したバンド“立体”では、うたとギターを担当。空島出版主宰。


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『不思議な羊、不思議な「メ゛エ」』

一匹の羊のぼわぼわと、くるくるとなった毛玉の一つ一つは小さな羊の全身で出来ており、その小さな一匹の羊のぼわぼわと、くるくるとなった毛玉の一つ一つはもっと小さな羊の全身で出来ている。そのもっと小さな羊のぼわぼわと、くるくるとなった毛玉の一つ一つはもっともっと小さな羊の全身で出来ており…以上が限りなく続いていく。
だから、一匹の羊が「メ゛エ」と鳴くとき、大小様々な無数の羊が同時に「メ゛エ」と鳴いているのである。なんと不思議な羊、なんと不思議な「メ゛エ」だろう。しかも、そんなたくさんの羊たちは一匹として同じではない。彼らは時に動きまわり、時に草を食み、時に眠っては、羊毛のようなぼわぼわと、ふわふわとした夢を見る。そうやって、それぞれが別々の行動をとりながらも、一体となって暮らしているのだ。
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by ototogengo | 2013-03-16 02:57 | はなし | Comments(0)

『人の脱け殻』

理科の授業中、先生がクラスの全員に訊いたところ、家に脱け殻を残している生徒はたった一人だということが分かった。その生徒はゆうきという名前だった。彼の家庭は裕福で、これまでに残された脱け殻の全てを保管できる十分な空間がその立派な屋敷にあったのだ。二十数年前、彼の祖父は都会で一財産も二財産も築いた後、長閑(のどか)なこの地に居を移した。なので、この先で触れることになる、脱け殻をめぐる伝承にも囚われずに済んだのだ。

次の校外授業を利用して、先生と生徒たちはみんなでゆうきの家を訪れた。学習の大切な一環だと伝えて、先生が彼の母親から許可を得ていたのである。
手入れの行き届いた屋敷の一室に通されると、そこには木枠のついたガラスケースに一体ずつ入れられて、ゆうきの脱け殻が保管されていた。赤ん坊の頃のものから最近のものまでが、時系列順にずらりと横たえられている。たった一つの脱け殻以外は、全てが薄茶色をして硬くなっていた。その例外とは、今日の未明に脱ぎすてられたばかりのものだった。手足を伸ばして仰向けになったその脱け殻は、透明である点を除き、ゆうき自身と寸分も違わない姿に見えた。光沢を帯びていてまだ柔らかみを残したそれは美しかったが、同時に極めて生々しかった。脱け殻の表情は目を閉じて半ば微笑んでおり、それが穏やかに眠っていることを示していた。その全身は見れば見るほどに精巧で、髪の毛や睫毛、手の平の皺の一本一本までもがつぶさに確認できた。接近すれば微かな息づかいが聞こえてくるのではないか、密着すれば温かみが感じられ、鼓動が伝わってくるのではないかと思われるほどだった。
「きゃあ」「こわあい」などと黄色い声をあげ、女子たちは脱け殻に決して近寄らなかった。「うわあ」「きもちわりい」などと言いながら、一部の男子は恐る恐る、しかし半ばうれしそうにそれをつついた。そして、その脱け殻の本体であるゆうきは、部屋の隅の方で恥ずかしそうにうつむいていた。
「みんなは自分の脱け殻を近くで見たことがないの?」
と、先生が訊いた。生徒たちは口々に、
「ないです。わたしの家では、お母さんがすぐに捨てるみたいです。脱皮した後、わたしが目を覚ます前に」
「ぼくも。うちではおばあちゃんが捨てています」
「おれんちはお父さんが捨ててます。でも、その時にちらっと見たことはあります」
と、答えた。それを受け、
「そうなのね。じゃあ、しっかりと見たことがある人は手を挙げてくれる?」
と、先生が提案したところ、総勢24名のなかで挙手したのは、ゆうきを含めた3人だけだった。
「みんな、脱け殻は恐いものでも気持ち悪いものでもないのよ」
と、先生はまず全員を、次に顔を上げたゆうきを力づけるように見て切り出した。
「脱け殻は私たちの一部だったものです。そして、私たちの成長を精確なかたちで留めるものです。だから、脱け殻を観察すると本当にいろいろなことが分かるのよ。それに、私は人の脱け殻がとても美しいと思うわ」
「でも、脱け殻を家に置いていると良くないことが起こるって、お母さんが言っていました」
と、副委員長を務めている、黒くて真っ直ぐな長髪と大きな眼をした女子が言うと、多くの生徒がそれに合わせてうなずいた。そして、「うちも」「やっぱりそうだよね」「呪われるって聞いたよ」「えっ、ほんとに?」「夜中に動き出した脱け殻がわたしを殺しちゃうの。それから、わたしの代わりになって生きるんだって」などと言うざわめきが起こった。
「確かに、人の脱け殻はこの地方では良くないものと言われているわ。だけど、脱け殻が幸運を呼ぶとされている地方や国も、実はたくさんあるの」
先生は再び話し始めた。そして、
「言い伝えや常識が正しいこともきっとあるわ。だけど、本当かどうか分からないのにそれを信じるのはおかしいと思うの。脱け殻に限らず何だってそうで、私はみんなに、簡単に決めつけをしない人になって欲しいの。誤解したままで間違いを重ねる人になって欲しくないし、物事のそのままをしっかりと見つめて考え、そして行動できる人になって欲しいから。私もできるだけそうしているし、そうしていくわ」
と、一人一人の眼を見ながら言った。
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by ototogengo | 2013-03-11 17:04 | はなし | Comments(0)

『星雲を放す』

部屋の中で星雲を育てていた。緑や蒼や紅や紫に移ろう全貌が息づきながら収縮し、靄のごとく霞んだり、血のごとく濃密になったりする。時にオーロラを思わせる渦を巻いては流れて光り、時に大爆発を起こしては眩い輝きをしばらく保つ。不規則な電飾のように星の球がちかちか、ぺかぺかと点滅することもしばしばだった。
ある夜、繁殖して数と大きさを増した星雲が眠りを余りにも酷く妨げるので、堪らず窓を開け放った。吹き込む風に、カーテンが大きくゆれた。
部屋にはたった二つの子供星雲だけが残り、他は全て泳ぎながら外の夜闇へと四散した。彼らが曲がり角や藪の中や空の向こうに消えるまで見守り、心の内で「さようなら、元気でね」を言ってから窓を閉めた。
犬や烏に食べられたり、猫や人の子に弄ばれたり、強風にさらわれたりして、生き残れるのはほんの一部であるに違いない。しかし、あのまま部屋の中に居続けたら全滅の恐れもあった。 そうとは分かっていても、わたしは半ば自棄になって彼らを逃がしたために、自責の念に苛まれた。それから、「これで良かったんだ」「いずれこうするしかなかったんだ」と胸中で繰り返しながら、寝苦しい夜を過ごした。再び横になったわたしの頭上では、二つの子供星雲がまるで何事もなかったかのように、光りながら無邪気に遊んでいた。
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by ototogengo | 2013-02-24 23:34 | はなし | Comments(0)

『影の授業』

ぼけっとした長身の男が教室に入ってきた。歳の頃は三十というところだろうか。髪に寝癖がついているし、皺の寄ったシャツがズボンからはみ出している。先生から紹介を受けたあとで挨拶をしたが、「はじめまして」の言い方も気が抜けていて頼りない。
授業が始まると、なんと彼の影が講習を始めた。実体の男の方はと言えば、資料のページをめくったり、黒板にチョークで代筆をしたりと、影の助手を務めている。
それにしても、大した影だ。博覧強記、かつ観察力も分析力も確実で、話の組み立ては巧妙、その声には自信に裏付けされた威厳がこもっている。そのうえ、人格者ときている。優等生への対応と劣等生への対応に全く差を付けないし、助手である彼の本体へも、事あるごとに謝意を表明している。もちろん、髪にも服装にも乱れはない。

その日、家へ帰って自室に戻ってからも、わたしの影とわたしとは、彼の影の話で持ちきりだった。
「それにしても、本当にすてきな影だったね」
と、改めてわたしが言うと、
「うん、同感。同族からすると、ちょっと憧れちゃうなあ。だけど、そのうちにあなたも、彼みたいに影から使われるようになるかも知れないよ。現に、前の試験の成績は私の方が良かったからね」
と、茶目っ気たっぷりに影が返す。
「そうだね。だけど、僅差だったよ。その前はわたしの方が良かったし」
と、わたしも茶目っ気を込めて。
「まあね。それにしても、昔に生まれて来なくて良かったよ。今が三十年前だったら、あなたと私が同等だなんて有り得なかったからね」
影はしみじみと言い、
「今だって差別が完全に消えたとは言えないけど、まあ、遥かにましにはなってるもんね」
と、付け足すのだった。
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by ototogengo | 2013-02-15 19:47 | はなし | Comments(0)

『風邪をひく』

2月12日

晴れたので、掛け布団を干して家を出た。夜に帰宅して、すぐに室内へ入れた。
その布団を掛けていざ眠ろうとすると、どうも様子がおかしい。太陽のいい香りがするのは当然だが、じんわりと微熱を持っている。それだけならむしろ安眠を誘うのだが、のべつ幕なしに震えてもいる。今日は冷たい風が強く吹いていたので、布団が風邪をひいたのかも知れない。そういえば、夕方からの冷え込みも随分と厳しかった。
今のところ、布団の症状はさほど重くない。明日になったら回復しているといいが、悪化して咳やくしゃみまでするようになったら大変だ。念のため、暖房を点けたままで眠りにつく。

2月13日

暖房の甲斐あってか、掛け布団はすっかり良くなった。
安心して読書をしていると、折り癖が付いているように、特定のページが事あるごとに開く。と思えば、活字が動悸をうって膨張と縮小とを繰り返し、時どき挿絵が突発的に巨大化しては元に戻る。どうやら、掛け布団の風邪が本にうつったらしい。
放っておくと、本棚の蔵書に次から次へと伝染するだろう。処方を考えたが、タオルで包めばそれに風邪がうつりかねないし、温水につければ本が駄目になる。そこで、「風邪薬」という文字を栞(しおり)に記し、真ん中あたりに挟んで丸一日寝かせることにした。恐らく、これで大丈夫だろう。今日のところは安静にさせて、他の本を読むことにする。
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by ototogengo | 2013-02-13 21:59 | はなし | Comments(0)

『光の結晶』

ここに引っ越して来たばかりの頃の、よく晴れた日の夕方の出来事。
小さな半透明の光の結晶を頭や服の上にびっしりとつけ、息子が帰って来た。それらはさまざまな金や銀や銅色を基調としており、見る角度によって七色に照り映えるのだった。太陽の光を浴びながら長く遊んでいたせいだろう。雪の結晶は六角形を基本に成長するが、光の結晶は木や珊瑚の枝に似た形が放射状をなして全体が円や楕円に近くなる。
妻が「この辺りではこんなことがあるのね。こんなにもいっぱいつけて。早く拭かないと、床や家具が濡れちゃうわ」と言い、息子は「えー、もったいないよ。不思議できれいなのに」と言う。そこで、私は二人に「拭く必要はないんだよ。光の結晶は液体を経ることなく固体から気体になるものなんだ。ドライアイスと同じだよ」と言った。
さて、それから光の結晶はおとなしい炎のようにちらちら、ぼおぼおと輝きあがって空中の四方八方へ真っ直ぐに放たれながら消えていった。それが全てなくなると、部屋のなかは少し明るくなった。それにしても、あの経緯を眺めながら夕食をとるのは、なかなか乙なものだったな。
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by ototogengo | 2013-01-26 16:59 | はなし | Comments(0)

『岩のなかの透明な樹』

「象の体ほどもある巨大な岩が、この海岸には多くあります。複雑にひび割れていたり、穴の空いていたりしているものがほとんどです」

「岩を割ると、そのひび割れや穴が全体として樹形を成していることが判明しました。それには葉や花や実や芽などの異なる形が季節に応じて見られるので、岩のなかで透明な樹が生長していると推測できるのです。ちなみに、これは同じ岩の断面を一カ月ごとに写したものです。この部分が葉、この部分が花、この部分が実ですね。12月には葉が落ち、小さな丸い実がわずかに残ります。さらに一ヶ月後には冬芽がぽつぽつと現れ始めますが、これらは春になると開く葉の赤ちゃんです。実に可愛らしいですね」

「そして、これらの樹は形態の特徴によって幾つかの種類に分けられます。例えば、この岩のひび割れとこの岩のひび割れとでは、幹や枝の形が随分と違うでしょう?そのねじれ方や分かれ方をじっくりと観察すれば、よりはっきりと各種の違いを知ることができます」

「また、この辺りに落ちているさほど大きくない石を割ると、その中の空洞やひび割れが種や双葉を成していることがよくあります。つまり、それらがやがて樹に生長するんですね。一つの石や岩ごとに一本の樹の育つ場合が多いですが、幾つかの個体が共生している岩もあります。これまでに発見されたなかで、その数の最も多かったのがこちらです。幹や枝や葉などが複雑に交差して絡み合い、密集しています。調査の結果、九本の樹がこの岩のなかに生えていることが分かりました。一本一本を見分けることすら困難ですが、実に美しい模様になっているとは思いませんか」

「これらの透明な樹が、それぞれ隔たったところにある石や岩になぜ分布しているのか。その真相は明らかになっていません。風を媒介にして見えない種が元の岩から別の岩の中へ運ばれるだとか、見えない果実を食べる見えない虫や鳥に種を運んでもらっているだとか、元々途轍もなく大きな一枚岩だったものの中に種が散らばっていたが、その岩が割れてばらばらになったときに種も一緒に分かれた、などの諸説がありますが、どれも常識からすると信じ難いですね。特に、先に言った二つの説が事実だとすれば、実や種や虫や鳥が岩をすり抜けられねばならないという理屈になりますから」
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by ototogengo | 2013-01-24 13:08 | はなし | Comments(0)

『わたしの家族』

大きなシャボン玉のなかをのぞきこむと、小さなわたしがいた。その小さなわたしは、わたしと似ているけれど少し違う。その小さなわたしもシャボン玉をのぞきこみ、さらに小さな私を見つめていた。そのさらに小さな私は、小さなわたしと似ているけれど少し違う。そして、わたしとはもう少し違う。そんな風に、わたしは小さくなるにつれて少しずつ違っていく。
すると、シャボン玉が割れた。ロシアのマトリョーシカという人形みたいに、わたしとシャボン玉から出てきた小さなわたしたちは大きい順に並んでいた。8人目まではなんとか見えたけれど、その先は小さすぎて見えない。
すると、小さなわたしたちはむくむくと大きくなって、みんなわたしと同じくらいになった。 たぶん全員で何万人もいたけれど、9人目から先はどうしてもわたしと似ていなかった。100人をすぎたあたりからは、どうしても人とは思えなかった。1000をすぎたあたりからは、どうしてもこの星の生きものには見えなかった。5000をすぎたあたりからは、生きものであるかどうかさえも分からなかった。
それでもわたしは、みんながみんなわたしの家族だと思っているので、何とか仲良くしていきたいと思う。
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by ototogengo | 2013-01-20 18:33 | はなし | Comments(0)

『しっぽ』

何週間も続けて座り仕事をしていると、尾骨が痛み始めた。このままだと、近いうちにしっぽが再び生えてくるだろう。職業病というやつだ。
日本猿のように毛深くて短いもの、蛇のように鱗のある長いもの、西洋の古い絵にある竜のように螺旋を描くもの…これまでに様々なしっぽを持ってきたが、生活の上での不便こそ多けれ、便利なことは殆どなかった。何かと物に引っかかる、座ったり寝たりするときの邪魔になる、服に押し込むのが大変である、人から奇異の眼で見られる、などなど。そのうえ、それを取り除く作業は厄介極まりないのだ。医者にかからねばならないし、薬も飲まなければならない、さらには食事療法を一月以上せねばならない。考えるだけで気が滅入ってくる。まあ、どんなしっぽが次に生えるのかには興味があるし、それをさすったり掴んだり、その不思議な動きを眼で追ったりすることがそれなりに愉しくはあるが。
だから、私はこれから数日を外で、あまり腰を掛けないようにして過ごすつもりだ。経験上、そうすればしっぽの生える危険は遠ざかるから。
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by ototogengo | 2013-01-12 12:56 | はなし | Comments(0)

『束の間の共生』

今朝も車内はぎゅうぎゅうに混み合い、そこにいると常に人の体や衣服、鞄などの触感が全身に感じられて居心地が良いとは言えなかった。だが、そんな状況に慣れ親しんだ彼にとってはさほどでもない。彼はその通勤電車のなかで吊革に掴まっていたが、連日の勤務によって溜まった疲れがたたり、立ったままでうとうとし始めた。満員の車両においては周りの人に多少体重がかかっても咎められる気づかいはない。それはその朝の彼にとって幸いなことだった。時に人と緩慢にぶつかりながら揺られるなかでの眠りは快適ですらあった。目覚めと眠りとの狭間でたくさんの光と影、がたんごとんいう走行音や扉の開閉音、アナウンスの声や乗客の話し声などが通り過ぎていく。

彼が鮮明な意識を回復して目を覚ますと、職場の最寄り駅に到着したところだった。謝罪の声をかけながら、押し合いへし合いしつつ慌てて降りる。寝惚けが抜けきらないままで歩いていると、吊革にずっと掴まっていた右腕に違和感を覚えた。眼をやると、肩から下腕の中ほどにかけて蔓(つる)が絡み、葉が茂っていた。ところどころに、くるくると螺旋や弧を描く巻きひげも伸びている。その奇妙な現象を確認すると、彼はすっかり目が覚めた。

普段通りに雑踏する忙しなげな街のなかで、彼は微笑みながらその植物を眺め、いつもの道を行く。時々、人の踵を踏んだり、その行く道を遮ったりして怪訝な、あるいは苛立たしい顔をされながら。
植物を観察していると、驚きとよろこびとが彼を満たした。時間の経過に従って可愛らしい、目立たない白く小さな五弁花たちが開いては散る。葉が美しく色づいて黄と赤が緑に混じりはじめ、次に緑とその二色の占める割合が逆転する。さらに赤みが増し、続いて茶が加わり、緑は縁を主としたわずかな部分にしか見られなくなる。そうして、葉が一枚、また一枚と落ち始めたころに彼は職場の玄関前に到着した。ちょうど、黄みを帯びた白色をした半透明の小さく丸い実が膨らみ、熟したと思われるときだった。
彼は少しためらった後、その蔓をちぎれないよう丁寧に上着から引き剥がした。そして、職場のある高層ビルに面した通りに植えられた樹の根元、そこの土の上にそっと置いた。果実を鳥や虫が食べるか、あるいはそれがそのまま地面に落ちるか…いずれにせよ植物が命を繋ぐことができるよう願って。
(これから出勤するときは、毎回様子を見てみよう)
彼はそう思いながら、建物のなかへ入っていった。無表情な人々でいっぱいになったエレベーターに乗って二十六階へ上る。明る過ぎるほどの蛍光灯に照らされた殺風景な廊下を通ってドアを開け、いつものデスクへ向かう。上着を脱ぐと、あの植物の茎に沿った根の跡が繊維に食い込んでぽつぽつと残っていることに気が付いた。入念に払うと、ほとんど目立たない程度になったが、どうしても取れないところもいくつかあった。
(大丈夫、そんなに頑固そうでもないから、洗濯すればきれいになるだろう)
仕事にかかると、彼は電車のなかで感じられた疲れが和らいでいることを実感した。
(あの植物と過ごした短い時間が気休めになったのかな。たのしくて幸せだったもんな)
そうして、彼はあの束の間の共生に感謝し、仕事に打ち込み始めるのだった。
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by ototogengo | 2012-12-08 12:12 | はなし | Comments(0)