中島弘貴
by ototogengo
中島弘貴
多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、音楽、絵、写真をやります。

2011年に解散したバンド“立体”では、うたとギターを担当。空島出版主宰。


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<   2012年 07月 ( 6 )   > この月の画像一覧

窓硝子の走馬灯

二年前の夏の夜半一時過ぎのことだった。そのとき、ぼくは実家の居間で本を読んでいた。四枚も横に連なった大きな窓のうちの二枚を開け放ち、網戸から入る気持ちのいい風が白いカーテンを時に大きく、時に小さく寄せては返させていた。
物語に熱中していたぼくは視界に異変を感じたので、その窓の方をふと見やった。すると、まばゆくささめく昼の陽光や深い青空、繁茂する緑や柔らかに白い雪景色、すばらしく濃厚な朱色と赤紫と紺の混じった夕焼けや窓のすぐ近くを通りすぎる黒と白のぶちの野良猫の影などが、二枚ずつが重なったその四枚の磨り硝子(ガラス)のなかに次々と、幾つかが同時に現れたり交わったりしながら、彩雲やオパールの火を思わせるうつくしい移ろいとして繰り広げられていくのだった。さらに、小さな頃の僕や弟がはいはいをしたりよちよちと歩いたりする様子、洗濯物を干す母の姿なども粗く霞むそのなかに見えたのだ。

思えば、あれは五十年以上そこに居続けた窓たちの、最期の回想だったんだろうか。あの光景を眺めた永遠のように大きくも思えた短いとき、その最中に起こった地震によって、老朽化が進んでいた硝子は鋭く澄んだ音を立て、ばらばらに崩れ落ちたのだった。他には背の高い木製の箪笥が倒れ、食器が幾つか割れたくらいで、ぼくたちの家の被害は存外小さかった。しかし、ぼくは死の間際の窓の映像を今でも鮮烈に思い出すことがある。そして、あの窓たちがどんな気持ちで生涯を過ごし、死に瀕したそのときに何を想ったのかを考えてみるのだった。
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by ototogengo | 2012-07-26 20:27 | はなし

芥川龍之介、晩年の作品群

18~20歳の頃、晩年の芥川龍之介の鬼気迫る、従来の小説作法から脱したように思える短篇の数々にどうしようもなく魅せられた。特に『或阿呆の一生』と『歯車』、それに『河童』を加えた三篇から受けた衝撃はとてつもなく大きかった。

なんとか透徹した理性を保とうとしながらもそれが崩れてしまう、しかし考えることを伴う書くことによって何とかして持ち直そうとする…そんな余りにも危うい、宙吊りになってか細い蜘蛛の糸を手繰るように切実な緊迫がそれらの作品に強い引力を生んでいるように思われる。だが、それだけに読者は彼のそういった状態・心情に呑まれる危険性も非常に高い。だから、心をしっかりと持ってそれらの作品に臨まなければ彼のぼんやりとした不安、捉え難いだけに尚のこと深刻な不安に感染し、取り憑かれてしまう。

先に記したとおり、芥川にとって執筆に臨むことは最後にして最大の頼りだったのかも知れない。文学には、聡明だった彼がそうやって拠りどころにするに足る大きな力があるのだ。それによって人生を活かすこともできれば殺すこともできる。もちろん、彼のように活かしきれない場合もあるだろう。だが、死力を尽くして執筆することで彼自身に束の間の救いが得られていたと推測されるし、そうでなくとも、その過程で稀有な作品の数々が生まれたことに違いはない。
取り分け『歯車』や『或阿呆の一生』を読んでいると、芥川は理性を完全に失って狂う寸前で自らの命を絶ったと思われてならない。狂人になることは、彼の考えるところの作家としての死を意味する。執筆によって延命を行い、ぎりぎりのところで持ちこたえていた作家生命の最後の灯火、それが晩年の諸作品だったのかも知れない。
それらはむせるように重苦しい死の匂いに満ち満ちた、そして、だからこそ生の一瞬の閃きが極めて鮮やかに感じられ、それに焦がれもさせられる作品群なのだ。

「彼は雨に濡れたまま、アスファルトの上を踏んで行った。雨はかなり烈しかった。彼は水沫の満ちた中にゴム引の外套の匂を感じた。
すると目の前の架空線が一本、紫いろの火花を発していた。彼は妙に感動した。彼の上着のポケットは彼等の同人雑誌へ発表する彼の原稿を隠していた。彼は雨の中を歩きながら、もう一度後ろの架空線を見上げた。
架空線は不相変らず鋭い火花を放っていた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかった。が、この紫色の火花だけは、――凄まじい空中の火花だけは命と取り換えてもつかまえたかった」
(『或阿呆の一生』より)
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by ototogengo | 2012-07-23 23:09 | 本や音楽などの紹介

『爪の結晶の収集家の独白』

放っておくと、結晶化する手の爪は毎度思いも寄らないすがたに、指先の延長線の斜め上方へ向かって成長する。例えば、前々回の右手人差し指の爪は小さく険しい紅く透明な山脈のように、前回の左手小指の爪は光沢の強い銀色のきっちりとした立方体の積み重なりとして、今回の左手親指の爪は夥しい水色の針でできた半球のようになった。例外なく独特でうつくしいものになるので、仕事に支障が出るほど大きくなったら、その都度根本から丁寧に剥がして保管しておくようにしている。

思えば、自分の爪の結晶の収集を始めてから早七年以上が経った。今や、そのコレクションの総数は3000に近づこうとしている。幾何学的なものや心臓形をしたもの、樹木やシダ植物にそっくりのもの、葡萄の房のような玉の重なりやきのこのようなかたちをしたもの。その姿は驚くべき多様さを備え、色もまた七色にとどまらず多種の金属色、マーブル模様や蛋白色、玉虫色を呈する幾色もの混淆(こんこう)、当たる光によって大きく変色する、あるいは燐光を放つものなど、個体ごとの特徴の豊富は想像を絶する。わたしは今日も成長過程の自分の爪のそれぞれを、また大きな棚にしまってある小さな箱詰めの結晶たちの一つ一つを飽くことなく愛でる。矯(た)めつ眇(すが)めつするのみでなく、指の腹でなぞってみたり頬にすりつけてみたりしてその触感や温度をも愉しんでいるという具合だ。わたしはこれらの小宇宙のすばらしさにただただ魅せられているというわけなのだ。これまでもずっとそうだったし、これからも変わらず、いや、ますますそうすることだろう。
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by ototogengo | 2012-07-18 19:56 | はなし

『青銅のきみへ』

十八歳まで過ごした生家の近くにある公園の一角に、四角く低い石の台に乗せられた青銅の像があった。それは生き生きとした男の子の像で、ベンチが幾つか備えつけられている広場のなか、丸く刈られたツゲの低木のそばに立っていた。十二歳までは毎日のように訪れて走り回ったり、砂や泥だらけになったりしながら近所の子供たちと遊んでいたその公園にも、少し遠くの学校へ進んだことによって全く足を運ばなくなった。
さて、そういった経緯からぼくは十年以上ぶりにその公園を訪れたのだった。理由は「よく晴れた昼間に塞いだ気持ちのままであてのない散歩をしていると、何となくそこへ行きたくなったから」としか言いようがない。中に入ると、砂場やブランコや滑り台のあたりで五歳から十歳くらいの子供たちが数人、わあわあきゃあきゃあと声を上げて遊んでいた。四方に生えた鮮やかな桃色や白色の躑躅(つつじ)の花は満開を過ぎて萎れているものが多く、一部や大部分が茶色くなっているものも決して少なくなかった。衰えや死を連想させるそれを見ると、ぼくの塞いだ気持ちはさらに鬱々となるのだった。見るべきものは他に何もないように思え、半ば諦めつつも期待していた懐かしい想いに満たされることがないどころか、その萌芽すらも感じられなかった。それにしても、陽ざしが眩しい。ソメイヨシノの樹に茂った葉の濃い緑までもがすっかり白く褪せるほどだった。ぼくは無感動で、その光景の白さのためか夢のなかにいるような心地でふらふらと歩きながら広場へ向かった。
そうして、ぼくは青銅の像と再会したのである。信じ難いことに、彼がぼくと同じくらいの背丈に成長していることは、遠目からでもはっきりと分かった。近づきながら、(そんなはずはない、あのころの彼は確かに十二歳のぼくと大差ない身長だった)と考えていたが、彼とぼくとの距離が縮まるにつれてそれが思い違いでも目の錯覚でもないことがますます明らかになるのだった。そんな最中、当時ぼくと彼がよく似ていると言われていたことを思い出した。家族も友達も、友達の親も口を揃えてそっくりだと言うのだった。やれ目鼻立ちが似ている、あら輪郭もそっくりよ、背の高さや髪型までも瓜二つ…そのように言われて、悪い気は決してしなかった。むしろ、うれしかったことを覚えている。当時の彼は満面の笑みを顔いっぱいに湛え、溌溂として今にもそれを羽ばたかせて飛び立とうとしているように両手を大きく広げながら走っている一瞬の姿のままでずっとそこにいたのだ。
そうやって思い出と現実との差異に混乱していると、ついにぼくは彼と間近で向かい合った。彼は不動の体勢をとってうつ向き気味で佇んでおり、しかもその表情が実に陰鬱だった!眉間に皺を寄せ、口を固く閉じ、心持ちこけた顔全体の筋肉が苦悶によって緊張しているのがぴりぴりと伝わってくる。ぼくは茫然として、ぼくにそっくりな彼とそのまま対峙していたが、ついに堪えきれなくなってその場を後にした。少し離れたところから子供たちがじっと、困惑したように真剣な面持ちで一部始終を眺めていた。今にも泣き出しそうな女の子もいた。彼らはぼくが立ち去るまで押し黙っていたが、公園を出てしばらくすると、彼らの元気いっぱいに遊ぶ声が再び聞こえてきたのだった。

間もなく都会での生活に戻ったぼくには、あの像がそれからどうなったのかを知るすべはなかった。しかし、あの日からぼくは確かに変わったのだった。ことさらに苦悩すること、それは自分自身を可愛がる一つの容易な方法かも知れないが、そうすることによって自分自身はもちろん、他の誰をも幸せにすることはない。ぼくは青銅の彼からそのことを学んだのだ。
今でも辛いことや苦しいことは時にあるが、それにこだわることなく健やかに暮しているつもりだ。そうするだけでも、何と気持ちよく生きていけることだろう。そうして自己にしがみ付くことなく生活をしていると、世界は発見で満ち満ちていることがよく分かる。ぼくの生きているのが辛かったり、つまらなかったりしたのは、自分の思いこんだ小さな現実と実際の世界とを混同していたせいだったんだと思う。ぼくが知っていること、一生をかけて知りうることなんてごくわずかで、それ以外の全ては未知なのだ!この奇跡ともいえる豊かな世界をそのままに見、そのままに接している限り、発見はいつまでも尽きることがないだろう。
あのとき以来、ぼくは青銅の彼をずっと想っている。彼の見えるものは限られているし、接することのできるものはさらに少ない。しかし、その狭さや少なさのなかにはどれだけ多くのものが含まれているだろう!あの四角い台の上から見えるものは、特別なところが何もない小さな公園のさらに小さな一角だ。しかし、観察しながら接することをやめなければ季節ごとに、天候ごとに、朝や昼や夜ごとに、いや瞬間ごとにさえ発見のないときはないだろう。世界は絶えず移ろっており、全く同じ瞬間は一つもない。だから、ああやって一か所にしかいられないからこそできる発見だって多くあるに違いない。繰り返しになるが、何かを分かりきったつもりになり、憂鬱に囚われて無気力にさえならなければ、その一つ一つを知るよろこびを持ち続けることができるのだ。
彼との再会を果たしてから、ちょうど三年のときが経った。ぼくはあの日、公園の躑躅やソメイヨシノにしか目を向けなかった。だけど、今ではもっと多くのものに目を向けられるようになっている。今日、もしもぼくがあの公園に行ったなら、地面を見下ろすと純白の三枚の花びらが三角形に近いかたちを成すトキワツユクサが見え、縦に筋のはしった五枚の花弁を縁が逸れるほどにしっかり開いたムラサキカタバミが見え、さらにはハゼラン、キキョウソウの花、その他にも名前を知らない様々な草花が見られるに違いない。蝶がそれらの蜜を吸いに来ており、その葉や茎を蟻やアブラムシが歩き、さらにそのアブラムシを食べるために天道虫がやって来る様子が見られるかも知れない。空に目を向け、その色や雲の姿や動きを観察することも、子供たちの声や虫や鳥の声に耳を傾けることも、植物たちや土の香りを体いっぱいに吸い込むこともできる。そして何よりも、あのときとはまるで違うやわらかな表情をした彼と笑って対面できるような気がする。ぼくが彼のおかげで変われたように、ぼくの大きな変化が彼を変えているように思われて仕方がないのだ。
この夏に、ぼくはあのとき以来の帰郷の予定を立てている。青銅のきみ、ぼくはきみと会えることをたのしみにしているよ。
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by ototogengo | 2012-07-10 22:44 | はなし

『服のなかの小鳥たち』

翼を広げて飛びまわる数十羽の小鳥が模様になっている袖なしのワンピースが彼女の大のお気に入りだった。
彼女は本格的に寒くなる前の着おさめにと、仲秋のある日にそれを身に纏って外へ出た。街なかを歩いていると、ワンピースが内側からの風に吹かれるようにして突然はためいた。同時に模様の鳥たちが南方へ向かって一斉に飛び出し、その空に浮かぶ影はどんどん小さくなってやがて見えなくなった。彼女は「あっ」と言ったきり、呆然としてその様子を見送るしかなかった。
帰宅した彼女は空っぽになった、かすかに緑みを帯びたその水色のワンピースを寂しい気持ちでハンガーに掛け、衣装箪笥へ大切に仕舞ったが、暗く狭い場所で退屈したり寒さに震えたりすることなく冬を越えられるであろう小鳥たちを想うと、胸のあたりがぼおやりと温かくなるのだった。

翌年の五月の晴れた日のことだった。彼女は空っぽになったそのワンピースを何となく取り出し、それを着て外へ出た。みずみずしい新緑の繁る公園のなかを歩いていると、遠くの空で光るたくさんの点だったものがぐんぐん近づいてきて鳥の姿になり、彼女の頭上で急降下して服のなかへ入っていった。その布は数秒間ばたばたゆらゆらしてから静かになった。小鳥たちの帰郷だった。
ほんの少し大きくなったようにも思える、服のなかで羽を広げて飛びまわる小鳥たちは、今年も秋までそこで過ごすんだろう。彼女はやさしく微笑んで彼らのその様子を眺めているのだった。
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by ototogengo | 2012-07-08 22:49 | はなし

高円寺ミッションズでの初めてのライブを終えて

昨夜はライブハウス高円寺ミッションズでの弾き語り百人(※)に参加してきました。1曲5分弱の演奏でしたが、14時開始のイベントで21時半という終盤に出演したため、お客さんも演者も多くの方がへべれけでした。それでもしっかり聴こうという雰囲気が強く感じられたので、たのしくライブを終えられました。

「大きな企画ではいろんな人のいろんな思念をよく気にかけて出来るだけ全ての人の満足度が高くなるように意識して動くようにし、それでいて自分の意思が最後までぶれないように気を張る」
「音楽というのは価値観の具現化です。様々な価値観の人がいて相容れない考え方の人同士もたくさんいます。イベントの規模が大きくなり不特定多数の参加者が増えれば価値観も多様化し一つに合わせれば一つからは不満が出る。しかし全てに対しいかに平等かつ高水準な内容を実現できるかを考えています」

ミッションズ店長の辰野仁さんは企画を終えた後にご自身のTwitterアカウントでそう語っています。それを知って、あの雰囲気はそういった思いがあって生まれたものなんだな、と納得がいきました。その真摯な意図がしっかりと感じられるミッションズはとても良いライブハウスです。誠実に運営されているそんな場所があるというのはうれしい。

しかし1曲だけのライブは、演者としては演奏し足りませんでした。それでも力を尽くしたいという思いで臨みましたが、やはり曲数と演奏時間はより多く欲しい。なのでミッションズに別の機会に出演し、もっと長く演奏したいと考えています。

※文中にも少し書きましたが、1人1曲、持ち時間5分以内の演奏を100人が順番に行うというイベント
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by ototogengo | 2012-07-02 11:58 | 日記