中島弘貴
by ototogengo
中島弘貴
多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、音楽、絵、写真をやります。

2011年に解散したバンド“立体”では、うたとギターを担当。空島出版主宰。


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<   2013年 03月 ( 5 )   > この月の画像一覧

『越境をする』

その人は越境をする。例えば、壁や絨毯やカーテンや布団カバーなどに何らかの模様が描かれていれば、そのなかへ入って人間の姿に象(かたど)られた模様の一部に変身する。その模様に実のなった植物があしらわれていれば、それらの果実の一つを取ってこちらへ戻って来ると実物になり、代わりに模様のなかのそれが消えている…といった具合に、あちらのものをこちらに持ち出し、こちらのものをあちらへ持っていくこともできる。
その人は越境をするので、本のなかへ入ることもできる。それが小説であれば新たな登場人物の一人となるし、画集であればその画風どおりの姿に変わって絵のなかに現れる。辞書ならその人の名前の一項目が加わるし、学術書や図鑑など、本文に出番がないものならページの端やカバーの裏などに、名前の文字や小さなシルエットへと姿を変えてこっそり介入する。

その人はそんな越境を実にたのしく続けてきた。
そうするうちに自分と他のものとの区別がつかなくなるかと思いきや、自分自身を遥かによく知るようになった。さまざまに異なる物事のなかへ身を投じることで、自他の差異をより多面的、かつより深刻に実感できる。だから、その経験を積めば積むほど、そういった差異をなくすように自身の存在を変える、より巧みな越境が可能となる。その人はその人自身に他ならず、それでいて如何なる対象にも馴染めるというわけなのだ。
偏見をもたず、ごく丁寧に対象を見極め、自分をそれに出来るだけ合わせて共存していく。そのように、多くの越境を体験するなかで共通して顕われる自分の傾向が、性質が、その人をその人たらしめている。個とは、固定されたものに限らず、運動や成長を含む総体なのだ。そのような個は信じ難いほどたくさんの面を備えており、異なる状況と出会うごとにその一面、もしくは数面に光が当たって反射が生まれ、それが反対に世界の一部を照らし出す。
だから、その人は自分らしいだとか自分らしくないだとかに煩わされることなく、種々雑多な越境を続けていく。その行き先はハンカチに刺繍された数種類の小鳥たちによる規則的なパターンのなかであったり、自然の作用によって一枚岩の表面に現れた海岸にも似た風景のなかであったり、天使と空と草花の描かれたステンドグラスのなかであったり、いろいろな星たちの瞬いて煌めく夜空のなかであったりする。そのような越境の経験によって、自分自身と世界とが運動や成長、連環をする様が実感され、その双方の実体がより明らかになるのだ。

(さあ、今日はどこへ行こうか)
その人はそう思いながら、これからどんな発見に出会えるのかと、とてもわくわくしている。その人は決して飽きることがない。自分自身も世界も、尽きることのない豊かさに満ちている、もしくは満たすことができると知っているからだ。その人は、知れば知るほど知らないことが多くなるとますます強く理解してきたし、これからも理解していくだろう。
そうして、知ったかぶりや決めつけによる境界を決して作らず、他の誰かがそのような虚偽によって築いた境界にも決して囚われることのないその人は、越境をして未知と出会い続ける。地続きとなったこちらとあちらとを限りなく自然に、呼吸をするようにして行き来しながら。
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by ototogengo | 2013-03-31 18:11 | はなし

『受粉者の独白』

花粉を浴び過ぎたせいか、五日ほど前から皮膚の一部が粟立ち始めた。何てことはないだろうと放置していると、その小さな一粒一粒が徐々に膨らんで果実になった。観察すると、主におでこの髪がかからない部分、頬と顎、首の周囲、手の甲のあたりに結実している。要するに、外出時に肌が露出していたところに集中して実っているらしい。受粉したということだろうか。

おかげで、私はさまざまな場面で随分と苦労している。職場では、長らく関係を結んできた得意先と交渉する任を解かれ、ひたすら事務に当たらされている。家庭では、感染を恐れる妻と子供から隔離されて過ごしているから、食事の時も就寝時も孤独だ。風呂場では湯船に浸かることが許されずにいるし、洗濯物は他の家族のものと決して一緒にしてはならず、自分で洗って干さねばならないという始末。街中に出ると、好奇や嫌悪の眼差しでじろじろと見られるし、人混みにおいても電車内においても私の周りには誰一人として近寄らない。
自分自身としても気味が悪いので、何度も果実を引っ張って取ろうとしたが、予想以上にしっかりとくっ付いている。さらに力を入れると強烈な痛みが走るので、無理をして引きちぎるなんてとてもできない。 どうやら、皮膚と一体になっているらしい。

仕方がないので、熟してからもいでみようと思う。流石に、その頃になれば簡単に取れるだろう。いや、取れて欲しい。
…それにしても、そうして収穫した実は果たして美味しいんだろうか。仮に美味しかったとしても、自分の体から成った実を食べると考えれば、複雑な心境にならざるを得ない。それは1クッションを置いた、ゆるやかなカニバリズムということになるんじゃないか。その果汁は血のように紅いか、膿のような白か黄色をしている…そんな想像をすると、ますます気持ちが悪くなった。
もしかすると、私が収穫する前に鳥たちがついばみにやって来るかもしれないし、虫たちが群がるかも知れない。そのときは、どのように対処すればいいんだろう。彼らの食事の邪魔はしたくないが、あまりにも痛かったりくすぐったかったりすると大変だ。可愛い小鳥や穏やかな蝶や甲虫ばかりではなく、凶暴なやつや生理的に受けつけないやつも来るだろうし。

ちなみに、私は重度の花粉症である。目の痒みや鼻詰まり、くしゃみといった基本的な症状はもちろん、体のだるさや発熱にも毎年悩まされている。その上、こんな面倒な事態になるなんて、花粉とはとことん相性が悪いらしい。しかし、不満を言っても仕様がない。だって、花粉の散布は植物の営みの大切な一環に違いないんだから。要するに、どうにか折り合いをつけてやっていくしかないんだろう。

…いや、待てよ。その実がどんなものになるかはともかくとしても、その種がどのように育つのかが気になる。草になるんだろうか、それとも樹になるんだろうか。どんな葉っぱや花を付けて、どのくらいの大きさまで育つんだろう。せっかくだから、愛らしい草か立派な樹にでも育って欲しいものだ。
そうやって考えるうちに、それが植物と私との合いの子に当たるのではないかという推測に辿り着く。うーん、ますます複雑な心境になってきた。とすれば、やがて生まれるのは植物と人間の合わさった生命体になる可能性が高いと考えられる。果たして、それはどんな(以下、略)
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by ototogengo | 2013-03-30 21:42 | はなし

「海の上の森」

空が晴れ、海が凪いでいるときにだけ出現する森がある。それが現れるのは、見わたす限りの一帯に陸地がなく、水深が200m以上ある海の上に限られている。加えて、これは容易に首肯されるだろうが、その場所の海水が清らかである必要もある。

風がおさまってからしばらくすると、微かな揺らぎしかない静かな海面に、たくさんの小さな芽が生える。淡い青や緑を帯びた、透きとおった水でできた芽だ。それらが開くと、幹が伸びて枝葉が広がり、みるみると太く大きな樹に育っていく。
半時間ほど経って樹高が5mを超える頃から、同様の水の体を持つ森の住民たちが姿を現す。例えば、獣や鳥や虫といった動物たちがいる。彼らはせせらぐような、あるいは滴って弾けるような澄んだ音を立てながら駆け、跳ね、飛び、歌う。さらに例えを挙げると、苔や羊歯(しだ)や草花やきのこといった植物や菌類たちもいる。それらの放つ花粉や胞子は霧となって森全体を間欠的に覆い尽くし、海の上の森の神秘性を高める。そのような住民たちが、海の上の森の豊かな生態系をつくりあげるのだ。
加えて、そこにおいては光の変化が実にすばらしい。最高で50m近くにも達する、透明な樹々を通過して差し込む陽光は、光の網や縞、光の夥しい泡や幾層にもなったヴェールなどが精妙に組み合わさった模様を生み出す。そのようなやさしい光で満ち満ちた空間のなかにいると、やがて抗うことの敵わぬ眠気に襲われる。そうして、安らかで甘やかな眠りを経て夕刻に目を覚ますと、光の色と模様が移ろっていく様子がまざまざと感じられ、暫し呆然となる。夕焼けの鮮やかな日などは、あまりの美しさに涙が零れるほどだ。
しかし、そんな海の上の森で命を落とす者、行方知れずになる者は多い。この森は往々にして短命で、とても脆い。一度(ひとたび)強い風が吹けば、樹々は急激に崩れ落ち、辺りのものに降りかかるどころか、強大な波を引き起こして広大な一帯を呑み込む。そのような最中(さなか)にいれば、命はまず助からない。また、すぐに風が吹かなくとも、森の奥に迷い込んだら最期、やがて来る森の崩壊とともに訪れる自身の死は避けられない。そんな危険があるにもかかわらず、海の上の森は古来、探検家や海洋学者たちを引きつけてやまない。現代においても、その犠牲になる死者と行方不明者は年間1500名を下回ることがない。

海の上の森の発生条件は初めに記したとおりだが、飽くまでもそれらは目安に過ぎない。条件が揃っても出現しないことは度々だし、森の現れる海域もまちまちである。恐らく、他にも多数の条件を満たす必要があるのだろう。それらの全てが詳(つまび)らかになっていない現在、海の上の森と遭遇できる確率は少ない。発見できたところで、そこへ行き着くまでに消滅してしまうことも多く、森のなかで幸せな体験を得られるのは奇跡だと言っても過言ではない。私は、そのような機会に恵まれたとしても、森のなかへ入るべきだとは思わない。一方で、それを避けるべきだとも思わない。海の上の森のなかでは人生が変わる体験を必ず得られるということ、そして、そこを目指すならば人生をふいにする覚悟を持たねばならないこと、私にはその二点が言えるのみである。
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by ototogengo | 2013-03-21 19:38 | 空島出版

『不思議な羊、不思議な「メ゛エ」』

一匹の羊のぼわぼわと、くるくるとなった毛玉の一つ一つは小さな羊の全身で出来ており、その小さな一匹の羊のぼわぼわと、くるくるとなった毛玉の一つ一つはもっと小さな羊の全身で出来ている。そのもっと小さな羊のぼわぼわと、くるくるとなった毛玉の一つ一つはもっともっと小さな羊の全身で出来ており…以上が限りなく続いていく。
だから、一匹の羊が「メ゛エ」と鳴くとき、大小様々な無数の羊が同時に「メ゛エ」と鳴いているのである。なんと不思議な羊、なんと不思議な「メ゛エ」だろう。しかも、そんなたくさんの羊たちは一匹として同じではない。彼らは時に動きまわり、時に草を食み、時に眠っては、羊毛のようなぼわぼわと、ふわふわとした夢を見る。そうやって、それぞれが別々の行動をとりながらも、一体となって暮らしているのだ。
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by ototogengo | 2013-03-16 02:57 | はなし

『人の脱け殻』

理科の授業中、先生がクラスの全員に訊いたところ、家に脱け殻を残している生徒はたった一人だということが分かった。その生徒はゆうきという名前だった。彼の家庭は裕福で、これまでに残された脱け殻の全てを保管できる十分な空間がその立派な屋敷にあったのだ。二十数年前、彼の祖父は都会で一財産も二財産も築いた後、長閑(のどか)なこの地に居を移した。なので、この先で触れることになる、脱け殻をめぐる伝承にも囚われずに済んだのだ。

次の校外授業を利用して、先生と生徒たちはみんなでゆうきの家を訪れた。学習の大切な一環だと伝えて、先生が彼の母親から許可を得ていたのである。
手入れの行き届いた屋敷の一室に通されると、そこには木枠のついたガラスケースに一体ずつ入れられて、ゆうきの脱け殻が保管されていた。赤ん坊の頃のものから最近のものまでが、時系列順にずらりと横たえられている。たった一つの脱け殻以外は、全てが薄茶色をして硬くなっていた。その例外とは、今日の未明に脱ぎすてられたばかりのものだった。手足を伸ばして仰向けになったその脱け殻は、透明である点を除き、ゆうき自身と寸分も違わない姿に見えた。光沢を帯びていてまだ柔らかみを残したそれは美しかったが、同時に極めて生々しかった。脱け殻の表情は目を閉じて半ば微笑んでおり、それが穏やかに眠っていることを示していた。その全身は見れば見るほどに精巧で、髪の毛や睫毛、手の平の皺の一本一本までもがつぶさに確認できた。接近すれば微かな息づかいが聞こえてくるのではないか、密着すれば温かみが感じられ、鼓動が伝わってくるのではないかと思われるほどだった。
「きゃあ」「こわあい」などと黄色い声をあげ、女子たちは脱け殻に決して近寄らなかった。「うわあ」「きもちわりい」などと言いながら、一部の男子は恐る恐る、しかし半ばうれしそうにそれをつついた。そして、その脱け殻の本体であるゆうきは、部屋の隅の方で恥ずかしそうにうつむいていた。
「みんなは自分の脱け殻を近くで見たことがないの?」
と、先生が訊いた。生徒たちは口々に、
「ないです。わたしの家では、お母さんがすぐに捨てるみたいです。脱皮した後、わたしが目を覚ます前に」
「ぼくも。うちではおばあちゃんが捨てています」
「おれんちはお父さんが捨ててます。でも、その時にちらっと見たことはあります」
と、答えた。それを受け、
「そうなのね。じゃあ、しっかりと見たことがある人は手を挙げてくれる?」
と、先生が提案したところ、総勢24名のなかで挙手したのは、ゆうきを含めた3人だけだった。
「みんな、脱け殻は恐いものでも気持ち悪いものでもないのよ」
と、先生はまず全員を、次に顔を上げたゆうきを力づけるように見て切り出した。
「脱け殻は私たちの一部だったものです。そして、私たちの成長を精確なかたちで留めるものです。だから、脱け殻を観察すると本当にいろいろなことが分かるのよ。それに、私は人の脱け殻がとても美しいと思うわ」
「でも、脱け殻を家に置いていると良くないことが起こるって、お母さんが言っていました」
と、副委員長を務めている、黒くて真っ直ぐな長髪と大きな眼をした女子が言うと、多くの生徒がそれに合わせてうなずいた。そして、「うちも」「やっぱりそうだよね」「呪われるって聞いたよ」「えっ、ほんとに?」「夜中に動き出した脱け殻がわたしを殺しちゃうの。それから、わたしの代わりになって生きるんだって」などと言うざわめきが起こった。
「確かに、人の脱け殻はこの地方では良くないものと言われているわ。だけど、脱け殻が幸運を呼ぶとされている地方や国も、実はたくさんあるの」
先生は再び話し始めた。そして、
「言い伝えや常識が正しいこともきっとあるわ。だけど、本当かどうか分からないのにそれを信じるのはおかしいと思うの。脱け殻に限らず何だってそうで、私はみんなに、簡単に決めつけをしない人になって欲しいの。誤解したままで間違いを重ねる人になって欲しくないし、物事のそのままをしっかりと見つめて考え、そして行動できる人になって欲しいから。私もできるだけそうしているし、そうしていくわ」
と、一人一人の眼を見ながら言った。
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by ototogengo | 2013-03-11 17:04 | はなし