中島弘貴
by ototogengo
中島弘貴
多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、音楽、絵、写真をやります。

2011年に解散したバンド“立体”では、うたとギターを担当。空島出版主宰。


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『殺害』

鼻に何かが軽く触れたので、眠りから覚めた。薄暗闇のなかで目を開くと、怪物が目の前にいた。緑色をした全身、大きな丸い目がこちらを凝視している逆三角形の顔、ほっそりとした長い首、折り曲がっているが心持ち開かれた二本の鎌。それが大蟷螂(おおかまきり)だと気づくのに、時間はかからなかった。こんなにも間近で蟷螂を見たのは初めてだった。意識が半ば眠っていたせいもあって、わたしは大きな恐怖と混乱に襲われた。
(すると、さっき鼻に触れたのは蟷螂の鎌だったのか)
そう思って、わたしはぞっとした。昆虫は嫌いではないのに、抑えがたい嫌悪感と危機感を覚えた。蟷螂は、わたしが何ものであるかを見極めようとするかのように、こちらへの凝視を怠らないまま、少しだけ首をかしげた。
わたしはとっさに上半身を素早く起こした。もちろん、蟷螂に注意を払いながら。蟷螂はぴくっと硬直したかと思うと、すぐに体ごと斜め後ろに振り返り、敷き布団の上を跳ねるようにして横ぎり始めた。シーツの皺(しわ)を巧みに避け、蟷螂は驀進(ばくしん)する。わたしはひどい近視なので、蟷螂が遠ざかるにつれて、その姿がかすんでいく。今や緑色のぼんやりしたものにしか見えないそれは布団から飛び出し、椅子や姿見がある部屋の隅へ向かっている。暗闇と相まって、その姿はすぐに見えなくなった。
(どうしよう)
と、わたしは考えた。蟷螂をこのまま放っておいて眠るなんて、できそうにない。どう転んでも大したことにならないのは分かっている。だが、自分がぐっすりと眠っているのに、何ものかが同じ部屋のなかを動き回っているというのは気持ちが悪い。小バエや蟻くらいなら無視することもできるが、大蟷螂ほどの大きさになるとだめだ。わたしは、もはや見えなくなった蟷螂を見つけ出すために、周りを手で探って眼鏡を求めた。しかし、こんなときに限って見つからない。
そこで、わたしは立ち上がって電灯の紐を引っ張り、部屋を明るくした。眼鏡はいまだに見つからないが、辺りの様子は分かりやすくなった。椅子の背後と姿見の背後を順番に覗いてみる。すると、姿見の後ろに緑色のものがいた。
(できれば、殺さずに外へ逃がしたい。でも、そのためにはどうすればいい?取りあえず、蟷螂を窓の方へ追いやろう。それから窓を開けて、何とかして外へ出そう。よし)
そう考えたわたしは、壁際に置いていた布団叩きを手にし、丸く広がった先端を蟷螂に突きつけるようにして近づけた。案の定、蟷螂は窓の方へ駆け出した。ただし、完全に思った通りの方向へというわけではなく、走りながら布団へ再び近付いていく。わたしは布団叩きを持ったまま追うが、その意外な速さのために蟷螂を見失ってしまった。明るいところでも、わたしの眼は1m先でさえ、ろくに見えない。だが、見失う直前に、緑の影が進む方向を変えて布団に肉迫するのを見たような気がした。
(敷き布団の縁(へり)に身を隠したか、それとも敷き布団と掛け布団の隙間にもぐりこんだか、だな)
わたしには、後者の場合がとても恐ろしく思えた。蟷螂と寝床を共にするなんて、想像しただけで背筋が凍る。そこで、掛け布団を何度もひっくり返して調べたが、蟷螂の姿はどこにもなかった。わたしは焦った。室温はさほど高くないのに、顔と体が汗ばんできた。だが、こんなときこそ冷静になる必要がある
(まずは、眼鏡をもう一度探そう。周りがよく見えるようになれば、きっと解決するだろう。蟷螂が影も形も無くなるなんてことはありえないんだから)
と、わたしは考えた。目を細めながらきょろきょろと見まわすと、間もなく長机の隅に眼鏡を見つけた。それを掛け、一気に鮮明になった視界のなかで、改めて蟷螂を探す。座布団をのけ、カーテンを開いては閉じ、家具や家電の後ろを覗きこみ、掛け布団をもう一度ひっくり返し、敷き布団の色んな場所を持ち上げては下を覗きこむ。そうやって部屋中を隈なく探したが、見つからない。どこから蟷螂が飛び出してくるか分からないので、びくびくものだった。
細心の注意を払って調べたので、しばらく続けると疲れてしまった。すると、蟷螂をこんなにも恐れていることが、ばからしく思えはじめた。
(そうだ、あいつがどう出ようが知ったことじゃない。寝ているときに何かが起こったら、そのときはそのときだ)
わたしは心のなかできっぱりとそう言い、
「ばかばかしい。来るなら来い」
と、実際に声を出してつぶやいた。そして、眼鏡を外して電気を消し、思い切って布団に入った。内心不安だったが、幸いにも、そこでおかしな感触を覚えることはなかった。少なくとも、わたしが体を横たえた場所に蟷螂はいなかったのである。元々中途半端な時間に目覚めたし、程よい緊張と運動を経たせいもあってか、すぐに意識が遠くなった。

朝。外はよく晴れているようで、カーテンの隙間から黄金色の陽光が差しこんでいた。目を覚ましたわたしは、仕事へ行く準備をするために、まずは布団を畳むことにした。収納を終えた掛け布団に次いで敷き布団を二つに折ると、ぼんやりとした緑色のものが現れて、わたしは驚きのあまりにびくっとした。そう、蟷螂だ。けれど、その緑色は床の上で微動だにしない。すぐに眼鏡をかけ、蟷螂が息絶えていることを確認する。だが、ぼんやりしている暇はない。出かける準備をしなければならない。わたしは蟷螂をそのままにして、朝食をとり、歯磨きをし、着替えをして身だしなみを整えた。そうしながら、一つの命を奪ったのに、いつもと変わらない準備をしている自分に違和感を覚えていた。
(だけど、わたしも生きなければならない。だから、こうする以外に仕方ないじゃないか)
わたしはそう考えて自分を慰めた。
いつもよりも急いで支度を済ませたので、家を出るまでに数分間の余裕ができた。わたしは床に横たわる蟷螂の方へ近寄った。鎌を含む六本の脚が、体の前方で折り畳まれていた。首の延長線上にある鎌の付け根あたりがぽっきりと折れており、体にくっつかんばかりの位置に顔があった。十中八九、これが死因だった。わたしが気づかないうちに、敷き布団と床の間にでも挟まれて折れたんだろう。おそらくは昨夜、敷き布団を何度か持ち上げては戻したときに。畳まれた脚と折れた部分の他は、死んでいるようにはとても見えない。血は出ていないし、体の色も艶も昨夜と変わらない。改めて見ると、蟷螂が妙にきれいだと思った。思い切ってその背中をつかみ、持ち上げてみる。そのときに頭がぷらんと揺れたが、折れた部分がちぎれることはなかった。長机の上にそっと置いて観察する。すると、半ば開いて背中からはみ出している、薄茶色を帯びた透明の翅(はね)に惹きつけられた。それには網目状になった細かい脈が走っている。その透明な部分は陽の光を受けてちらちら、みらみらと白色や黄金色に煌めいている。その様子はとても美しかった。そうしているうちに、蟷螂が愛おしくすら思えてくるから不思議だった。昨夜、生きて動いているときにはあんなにも忌み嫌っていたのに、動かなくなってからこんな気持ちを抱くなんて、ひどい話だ。我に返って時計に目をやると、家を出るべき時間を過ぎていることに気がついた。早歩きすれば、まだ間に合う。わたしは机の上にある蟷螂の死体をもう一度見た。そして、急いで荷物を持って靴を履き、外へ出た。
玄関を出ると、温かい陽の光に包まれた。さわやかな風が吹いている。いくらか淡い色をした青空に、様々な形をした白い雲がぽつりぽつりと浮かんでいる。わたしは歩き慣れた道を早足で進みながら考えた。
(なんでこんなにも、もやもやするのか。例えば、こうして歩いているだけでも、蟻を踏み潰しているかも知れない。それに、わたしは毎日二~三回食事をする。食べるということは他の命を頂くことだ。ついさっきも、罪悪感を少しも覚えずに鶏の卵とたくさんの米つぶを食べたし、昨日だって鯖や豚の肉を体の中に入れたじゃないか。そういったことと蟷螂を誤って殺したことの何が違うっていうんだ)
そうやって考えるわたしの周りを、景色が通り過ぎていく。道の両側に草木が生い茂っている。蝶やテントウムシや小さな羽虫がまっすぐに、またはひらひらと、または弧を描いて飛んでいる。スズメやカラスやヒヨドリなどのさえずりが近付いては遠ざかっていく。道を行く人の足音や話し声が聴こえ、そこらにある家から生活音が聴こえてくる。わたしはこの道を歩くのが好きだった。時間に追われてさえいなければ、いろいろなものを眺めながら、光や風を感じながら深呼吸して、ゆっくりと進みたいところだ。今朝は美しいと言えるほどの良い天気だったので、なおさらだった。わたしは考えを再開した。
(いや、今さっき考えたことと、昨夜の事件には明らかな違いがある。蟻を一匹も踏み潰さないようにするためには、いつも体を屈め、下を向き、細心の注意を払いながら進まないといけない。それに、他の命をずっと食べずにいるのは、まず無理だ。その二つを実行しようとすれば、生活に支障をきたす。だけど、昨夜の蟷螂に関しては、もう少しだけ気をつければ殺さずにすんだ…。わたしは、恐怖心や嫌悪感によって余裕をなくした。そんな取るに足らない感情に囚われて、一つの命を奪った。蟷螂と同じように、わたしが自分の何十倍も大きな存在に殺されたとしたら、どうだろう?しかも、その理由が同じようにつまらないものだったとしたら?…だけど、亡くなったものを生き返らせることはできない。犯した過ちを取り消すことはできない。今後同じようなことが起きたとき、繰り返さないように気を付けることしかできない。…そうだ、そうしよう)
考えを終えると、間もなく駅に着いた。それから列車に乗って仕事へ向かった。
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by ototogengo | 2014-05-27 21:36 | はなし | Comments(0)