中島弘貴
by ototogengo
中島弘貴
多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、音楽、絵、写真をやります。

2011年に解散したバンド“立体”では、うたとギターを担当。空島出版主宰。


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<   2014年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧

『夜の顔』

夜とは不思議なものだ。夜になると、明るい部屋のなかにいても、わたしは夜を感じる。夜は透明で、壁をすり抜ける。そうやって部屋に入って来て、空中を漂っている。それから、不意にわたしを掴まえる。最初は弱く、やさしいと言えるくらいの力で、夜はそうしている。だが、夜はどんどん集まってきて、わたしを覆いつくす。やがて、重たく濃密になった夜が、わたしの全身を圧迫する。
暗いところでは、透明な夜の姿が幽かに見える。部屋を隅から隅まで埋め尽くしていて、薄いところと濃いところに、不規則に分かれている。濃いところは流れになっているので見えやすい。曲がり、波うち、渦巻きながら、夜は体を四方八方へ伸ばしていく。原始的な生きもののように、自在に形を変えることができるのだ。
夜は特に、疲れや憂鬱などによって寝つけないときを狙ってくる。弱みにつけこみ、わたしを襲う夜は凶悪だとさえ言える。透明でやわらかい夜は、人の体をすり抜けることさえできる。わたしを取り囲んだまま、夜は体のなかに入って来て、わたしを満たしてしまう。そして、外側からも内側からも圧迫して、わたしを窒息させる。
夜は人のいるところが分かる。取り分け、独りぼっちの人のいるところが。密度を高くした手をぐんぐん伸ばし、その人を掴まえる。そうなると、簡単には抜け出せない。わたしはほとんど毎晩、そうやって夜に取り憑かれる。そして、体も心も乱されたまま、泣いたり叫んだりして過ごすことを余儀なくされ、疲れ果てて眠るか、朝が来るのを待つしかなくなるのだ。いや、本当はもう一つ、夜から自由になれる方法があることを、わたしは薄々分かっている。それは、闇のなかで夜と対決して、夜をわたしから引き剥がすことだ。
だけど、わたしは恐ろしい。夜を引き剥がすためには、夜の顔と対面しなければならない。そこは闇の密度が最も濃く、底知れない漆黒になっている。夜がどんな眼をして、どんな表情でわたしを見ているのか…、わたしはそれを想像するだけで震えてしまう。にたにた笑っているんだろうか、それとも恐ろしいような無表情をして大きな眼をぎょろりと剥(む)いているんだろうか。あるいは、二つの眼のある場所が周りよりもさらに真黒く落ち窪んでいて、今にも吸い込まれそうな深淵と直面しているように感じるかも知れない。夜に捕らえられたとき、わたしはいつも恐怖に負け、夜のなすがままになってしまう。それは苦しいことだ。とても惨めなことだ。でも、夜の顔を覗きこみ、夜の顔に覗きこまれたら、わたしはどうなってしまうんだろう。そうなったら最後、慣れ親しんだこの世界に戻って来れなくなるかも知れない。もしくは、気が狂ってしまうかも知れない。わたしには、そんな危険を冒してまで夜の顔を見る勇気はなかった。

夜になると、わたしは本を読む。集中していると、夜に掴まえられる確率が低くなると知っているからだ。本を読むほどの集中力がないときは、インターネットのなかを当てもなくさまよい、気を紛らわせる。そう、何時間も何時間もむなしく。そのように時間を浪費すると、わたしはいつも後悔でいっぱいになる。
今夜も、わたしは本を読んでいた。それは、わたしが尊敬する宗教学者であり作家でもあるミルチャ・エリアーデによる『ポルトガル日記』だった。読み進めるうちに次の一節と出会い、わたしはどきりとした。
「もう何かを待って生きることはやめよう。(中略)待ちながら、何事にも感動を覚えないまま死んでいくことを望まないのだ。何かを待って生きていれば、それが実際に訪れるまで、私たちは己の生を十全に生きることはできない」
それはまさしく、わたしのことでもあった。夜に怯え、耐えがたい眠気や朝が来るのを待ち、夜に囚われて暮らしているわたし。本当に、エリアーデの言うとおりだ。わたしは夜の時間の多くを十全に生きられていない。それは大きな損失だった。何といっても、人生の半分は夜なんだから。わたしは決意した。今度夜に掴まえられたら、夜の顔と対面してやろうと思ったのだ。もうこれ以上、こんなひどい状態を継続させてはいけない。このままでは絶対にだめだ。
そのまま、わたしは『ポルトガル日記』を何十ページも夢中で読んだ。そうしていると疲れてきたので、わたしは読書を途中で終え、眠ろうとした。しかし、暗闇のなかで頭が冴えてきて、なかなか寝つけない。眼をつむって横たわったままで体の向きを何度か変えたが、やっぱり寝つけない。そうしているうちに、いつものさみしさや将来への不安が湧いてきて、わたしを浸食するようにじわじわと膨らんできた。
たまらなくなって、仰向けになったまま眼を開くと、蟻地獄の巣のように同心円が重なって漏斗(ろうと)状になった夜の塊が、天井よりも少し下にあった。それはぐるぐると渦巻きながら、たくさんの闇の砂粒を中心に向かって、音をたてずに吸いこんでいる。その夜の塊の鋭い先端が真下に、つまりわたしに向かってゆっくりと降りてくる。それとわたしの顔との距離が50cmほどになったとき、その先端から突然、真っ黒くて太い腕がぐわっと伸びてきた。指が二十本ほどもある、大きく開かれた掌(てのひら)が視界を覆った次の瞬間、わたしは夜に掴まえられていた。
わたしは夜の手のなかにいた。その長い指でぐるぐる巻きにされ、夜に覆われていない体の部分はごくわずかだった。夜と触れあっているところには、ざわつくような冷たい感触があった。恐怖と不快感のあまりに全身が粟(あわ)立ち、冷や汗が滲(にじ)んだ。顔と背中が引きつり、口の中が異常に渇いてきた。水を飲みたかったが、体が動かない。自分を落ち着かせ、励ますために何かを言いたかったが、言葉にならない。呼吸が浅くなっていた。ろくに出てこない唾を何度も何度も飲み込んだ。夜の力はあまりにも強大だった。いつもなら、わたしはここで眼をそむけるか、閉じてしまったただろう。そして、夜のなすがままになっただろう。しかし、今のわたしは、これまでのわたしとは違う。
わたしは抵抗を試みた。眼をしっかりと開き、絡み合う夜の指の間にあるわずかな隙間から、その本体を見た。それは長い一本腕を持つ、奇怪な姿をした巨大な獣だった。真っ黒いナメクジのような、ぬめぬめとした小さな塊が無数に集まって、獣の全身を形づくっていた。そのナメクジの一匹一匹は、ゆっくりと這いながら蠢(うごめ)いており、入り乱れるそれらの動きに応じて、獣の体形が刻一刻と変化する。中には、ぼとり、ぼとりと地面に落ちるナメクジも多少はいたし、宙に飛びあがってから黒い霧のようになって暗闇に溶けこんでいくナメクジも多少はいた。しかし、ナメクジたちは夜の獣の体内からぞくぞくと生まれてくるので、実際には獣の全身はより歪(いびつ)になりながら、ますます巨大化していくのだった。
わたしは眼を背けたい、夜に全身全霊を委ねたい、という衝動に幾度となく駆られた。だが、しっかりと見なければ何も変えられない。しっかりと見て、はっきりと知らなければ、どう対処すればいいかも分からない。だから、わたしは眩暈(めまい)と吐き気を覚えながらも、獣の姿とその動きを見つめ続けていた。遠のきそうになる意識を幾度となく制しながら、わたしは夜の獣の顔を探していた。血眼(ちまなこ)になって、獣の体のありとあらゆる部分を見た。しかし、顔がどうしても見つからない。それでも、わたしは諦めなかった。わたしはそこで、自分の呼吸と動悸が異常に早くなっていることに気が付いた。また、汗でびっしょりと濡れたわたしの全身はますます冷たく、ますます硬くなっていた。どうやら、わたしの心も体も、限界に近づいているらしい。このままでは、夜にやられてしまう。自分の意志で立ち向かうことが、ここまで大変だとは知らなかった。しかし、後悔は全くしていなかった。それに、後悔をする余裕もなかった。
そこで、わたしは深呼吸をした。息を吸って吐く音が、やけに大きく聴こえた。深呼吸を何度か続けると、少しだけ落ち着いた。わたしは見方を変えることにした。部分ではなく、全体を見るのだ。狭い視界に囚われていると、見えないものがたくさんある。まずは全体を見続けて、それから気になった部分に注目しよう。内心、わたしは自分自身の強(したた)かさに驚いていた。わたしにこんな機転が、こんな底力があるとは意外だった。
見方を変えてからしばらくすると、わたしは気がついた。獣の体は混沌としているように見えるが、そこには整合性があることを。その表面は不規則に動き続けているが、その内部の動きには一貫性があることを。すると、獣の四本の脚がどこにあるか、その体のどちらが正面でどちらが背面か、などが朧(おぼろ)げにではあるが分かり始めた。そして、夜の獣がどんな態勢をとっているのかも。夜の獣は、この部屋のなかで立ち上がるには大き過ぎた。だから、今は体を屈めている。そして、わたしの眼から死角になっている場所に、おそらく顔があるのだ。
ここまでくると、わたしの腹はますます据(す)わった。突如として、自分でも信じ難いほどの力がこんこんと湧きあがってきて、わたしを満たすのを感じた。そこで、夜の獣の手から逃れるために、わたしは全力を振りしぼった。夜の指に覆い尽くされていなかった両足を使い、いきなり寝床を蹴ったのだ。それが獣の不意をつき、わたしの上半身はその指からずるりと脱けて自由になった。しかし、その手はわたしを逃がすまいとして、わたしの両脚を強烈に締めつけた。そこで、わたしは獣の一番細い指(それでも、直径30cmほどはあった)を両手で挟みこんで掴み、思いきり捻じ曲げた。夜の指はとても冷たく、まとわりつくような嫌らしい感触があった。そして、たくさんの真っ黒いナメクジがわたしの手から腕にうぞうぞと這い上がって来たが、無我夢中だったので、さほど気にはならなかった。獣の手の力がゆるんだので、わたしは一気に脱け出した。わたしが捻じ曲げた獣の指は、どうやら折れたらしい。治癒をするためだろうか、ナメクジたちがうじゃうじゃと、一斉に折れた部分へ集まっていく。やがて、そこを中心にして、ナメクジの大群の全体は球形になった。わたしは、枝葉が絡み合って全体が真ん丸いかたちになったヤドリギを連想した。宿主の樹が冬枯れしているときの、そのなかで一際目立つヤドリギの様子を。怪我をした指に集中するあまり、獣の他の部分は活動が衰えていた。その隙(すき)に、わたしは獣の顔が見える位置に回りこんだ。獣は首を垂れ、うつむいている。わたしは危険をかえりみず、さらに近寄って獣の顔を覗きこんだ。
なんと、そこにあったのは、わたし自身の顔だった。かなしげな、さみしげな、うつろな顔だった。わたしは胸を締めつけられた。いつも、夜がわたしを掴まえるのだとばかり思っていたが、わたしが夜を掴まえていたんじゃないだろうか?いや、わたしがわたしを掴まえていたんじゃないだろうか?わたしは、夜の顔を見つめ続けた。その表情がゆがんで、やがて崩れた。眼は細くなり、眉が下がって口角も下がった。眉間に皺(しわ)が寄って、夜はさらにがっくりと首を垂れた。わたしはかわいそうになってきた。こいつは、ただただ翻弄されている。わたしの感情に流されるがまま、こんなおぞましい姿になり、おぞましい行為を繰り返させられている。そのように考えていると、夜の顔が震えはじめ、その眼から涙がこぼれはじめた。わたしの頬にも、熱いものが伝う感触があった。夜の嗚咽(おえつ)とわたしの嗚咽とが、重なって聴こえている。わたしは、まるで自分の外側にいるような気がしていた。同時に、どこまでもわたし自身であり、どこまでも夜自身だった。わたしは、その両方と一心同体になっており、しかもそれらを包みこむ大きな存在になっていたのだ。
わたしが夜の顔を見つめている視界があった。同時に、夜がわたしの顔を見つめている視界もあった。その両方の顔は、涙に覆われてぼやけていた。そして、それらはしばらく揺らいでいたが、徐々に、徐々に、そのどちらもが消え去った。
あとには、暗闇があった。部屋のなかの空気が淀んでいるように思えたので、わたしは暗闇のなかを歩いて行って窓を開けた。ひんやりとした夜風が入ってくる。外を見ると、そこにある闇はただの暗黒ではなかった。それは黒ではなく、青だった。黒みがかった、深い深い半透明の青。そして、わたしは夜の匂い、夜の静けさ、夜の肌触りを感じた。大きく息を吸い込んだ。二度、三度と深呼吸しながら夜を全身に浴びてから、わたしは網戸だけを引いて閉めた。それから寝床に横たわって、あたりの暗闇を改めて眺めた。隅から隅までゆきわたった、無数の小さな粒々が動いているのが見える。それは様々な淡い色を帯び、やさしい砂嵐のように音もなく、闇のなかで動きながら瞬いている。心地がよかった。わたしはこれまで、夜というものをまるで知らなかったことに気がついた。わたしは一体いつから、偽物の夜を作り上げるようになっていたんだろう?わたしは夜の顔が消えてから、ようやく本当の夜と接することができるようになったのだ。わたしの体を包む夜は、しっとりとしていて涼しかった。そして、わたしの心はどこまでも清々しかった。たくさんの涙を流したせいもあるかも知れない。だが、そのせいだけでは決してなかった。
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by ototogengo | 2014-06-24 21:01 | はなし | Comments(0)

『点滅する電灯』

A「電灯の光が点滅するのを見たことはありませんか?」

B「電灯の寿命が尽きかけているときに起きる、あの現象ですね」

A「そうです。そのときに、電灯や電球の本体を観察したことはありますか?」

B「そういえば、ないですね。カバーで隠れていることが多いし、そうじゃなくても、光の点滅にばかり注意がいきますから」

A「実はそのとき、電灯や電球はどくどくと搏動(はくどう)しているんです。まさに、心臓のように収縮しながら。もちろん、音は立てませんが。その収縮に合わせて、光の点滅が起こる」

B「本当ですか?もしそうだとすれば、とても興味深いですが」

A「本当ですとも。ああ、ちょうどあそこに点滅している街灯があるから、一緒に確認しましょう」

B「(近寄って、じっくりと観察しながら)…ああ、本当ですね。おもしろいもんだ。電灯の動きに合わせて、弱々しく瞬いているかと思えば、発作的にぱっと明るくなることもある。思った以上に変化があるので、このままじっと眺めていたくなります。それにしても、正常なときよりも「生きている感じ」が強く伝わってくる気がするから不思議です」

A「そうですね。…病気になった人や死に際の人は、彼や彼女が生きていることを周りの人間に、健康なときよりも強烈に感じさせる。それに似ていると思いませんか」
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by ototogengo | 2014-06-22 21:19 | はなし | Comments(0)

『色の世界』

少年「最近、天気は雨ばっかりです。こんなとき、いつもの色はどこに行っているんですか?太陽の金色とか、葉っぱの緑色とか」

先生「それは雲の向こうにあるんだよ。雲と宇宙との間は明るくて、七色の虹がかかり、青々と眩しい草木が成長して花や実をつけ、色鮮やかな虫や鳥達が飛び回っているんだ」

少年「へー、そうなんですね。とってもきれいなんだろうな」

先生「うん、とってもきれいだよ。それに、その下には雲の海がある。その水面は時間と共にどんどん変わる。ぶ厚い雲が水平に広がるときは白い金色に輝き、薄い雲が鳥の羽根のような曲線を描くときは淡いたくさんの色に縁どられる。細切れになった雲が霧を作り出すときは、淡い虹色に光る様々な生き物の幻がそこら中に現れるんだ」

少年「へー、おもしろいですね」

先生「だけど、雲の向こうが嵐になったり、反対に雲の海が干上がって快晴になったりすると、その色の世界はすぐに消えてしまうんだ」

少年「かなしいですね…」

先生「悲しいけど、色の世界はそうやって巡るんだ。だけど、だからこそ色のある晴れの日と灰色の雨の日の両方が楽しいんじゃないかな」

少年「そうなのかなあ…」

先生「色が多いときも、色が少ないときも、どちらも大切にできる。それはきっとすばらしいことだよ」
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by ototogengo | 2014-06-08 21:15 | はなし | Comments(0)