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中島弘貴
by ototogengo
中島弘貴
多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、絵、音楽、写真をやります。

2011年に解散したバンド“立体”では、うたとギターを担当。


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「蝸牛(かたつむり)の潮」

みなさんは鳴門の渦潮をご存知だろうか。それは潮汐によって一日に二度生まれる速い潮流が海峡両岸近くにある穏やかな流れを引き込むことによって起こる現象で、徳島県鳴門市と兵庫県南あわじ市の間にある鳴門海峡で見られる。渦潮は大きなものになると直径20mにも及ぶという。小学校低学年の頃に旅行か何かをした際にそれを見た覚えがあるが、幼い時分だったので記憶に残っていることがほとんどないのが残念だ。
さて、鳴門海峡の激しい潮の流れは世界三大潮流の一つに数えられているが、その他の一つである北アメリカ西岸とバンクーバー島東岸との間にあるカナダのセイモア海峡においても渦潮は発生する。それはSnail’s Current、つまり『蝸牛(かたつむり)の潮』と呼ばれるが、鳴門海峡のものと異なり、波が縦向き、つまり海面に対して垂直方向に渦を巻く。鳴門の渦潮と同じく速さの異なる主流と副流とが関係して生まれる現象だが、大きく抉れた海岸線の地形や水深の高低差、海底の火山活動などの要因によって主流が副流とぶつかると同時にその下へ勢い良く潜り込み、それを受けて海面から立ち上がって離れた海水が宙に大きな輪を描くのだ。それは最大で直径10mにもなるが、季節や天候や時間帯によって刻々と変わる潮の流れに応じて海面に対して殆ど完全に垂直になるものもあれば斜めになるもの、ごく小さなものや輪に成りきらないものもあり、時にはその名の通りの蝸牛を思わせる渦が百も二百もほぼ同時に発生するという奇観を生み出すのである。
1818年に英国のジョージ・ロス船長が北西圏航路を開拓するために行った航海に同行した絵師が描いたとされる、蝸牛の潮を描いた水彩画を銅版におこしたものが現在も大英博物館に残されているが、それは数ある同時代の驚異に富む奇景画のなかでも白眉の、息を呑む迫力を備えている。羊雲がぽつぽつと見える他は深い青に澄みわたった太陽の輝く空と鬱蒼とした緑に覆われた山脈を背景にして前面いっぱいに蝸牛の潮が百近く散在しており、陽の光を浴びながら迸(ほとばし)る飛沫やのたくる流れや波、そして見事に輪や渦を描く蝸牛の潮が精緻かつ臨場感に溢れる激しさをもって描き出されている。真に迫るどころか、真を超えたようにさえ感じられる一枚なのだ。
ところで、私はその絵を知って以来憧れていた蝸牛の潮を実体験するために、四年前の初秋にセイモア海峡を訪れたことがある。思ったように時間が取れなかったため、そこで過ごせる時間は半日にも満たなかったが、天候は生憎の雨だった。しかも、フェリーに乗り込んだ時には小降りだったのに、運航しているうちにひどい嵐になった。多分に迫(せ)り出した起伏の豊かな分厚い雲に覆われて狭くなったように感じられる空の下で、横殴りの雨を伴う暴風と荒れ狂う波が大きな音を響かせて船体を揺さぶっていた。雨と海水の混然一体となった一面の灰がかった白い飛沫は嵐の勢力の強弱に応じ、呼吸をするように濃くなったり薄くなったりした。そして、それが薄くなったときにだけ蝸牛の潮が見えたのである。至近距離で潮が弧を描いて大きな輪となり、崩れていく様子がはっきりと見えたし、遠方のそれらは雨と飛沫に霞みながらも墨色をした雲のなかで白く、丸く浮かび上がって見えた。転覆さえも危ぶまれる船の窓から見えたものは重々しくも早く流動する雲、飛沫の一粒一粒やその塊、混沌とした海面、そして次々と生まれては崩れる一面の蝸牛の潮の数々だった。幾度となく訪れた雷光の閃く一瞬が、私の眼と脳裏にそれらの全てを焼き付けた。だからだろうか、私は今でもその光景を鮮明に思い出すことができる。そして、今まさに嵐の只中でそれを体験しているように思われるのだ。湧きあがる恐怖と驚異がいや増す、踊るように溢れかえる歓喜と共に。

(空島出版『水のはなし』より抜粋)
by ototogengo | 2012-06-04 19:49 | 空島出版
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