中島弘貴
by ototogengo


窓硝子の走馬灯

二年前の夏の夜半一時過ぎのことだった。そのとき、ぼくは実家の居間で本を読んでいた。四枚も横に連なった大きな窓のうちの二枚を開け放ち、網戸から入る気持ちのいい風が白いカーテンを時に大きく、時に小さく寄せては返させていた。
物語に熱中していたぼくは視界に異変を感じたので、その窓の方をふと見やった。すると、まばゆくささめく昼の陽光や深い青空、繁茂する緑や柔らかに白い雪景色、すばらしく濃厚な朱色と赤紫と紺の混じった夕焼けや窓のすぐ近くを通りすぎる黒と白のぶちの野良猫の影などが、二枚ずつが重なったその四枚の磨り硝子(ガラス)のなかに次々と、幾つかが同時に現れたり交わったりしながら、彩雲やオパールの火を思わせるうつくしい移ろいとして繰り広げられていくのだった。さらに、小さな頃の僕や弟がはいはいをしたりよちよちと歩いたりする様子、洗濯物を干す母の姿なども粗く霞むそのなかに見えたのだ。

思えば、あれは五十年以上そこに居続けた窓たちの、最期の回想だったんだろうか。あの光景を眺めた永遠のように大きくも思えた短いとき、その最中に起こった地震によって、老朽化が進んでいた硝子は鋭く澄んだ音を立て、ばらばらに崩れ落ちたのだった。他には背の高い木製の箪笥が倒れ、食器が幾つか割れたくらいで、ぼくたちの家の被害は存外小さかった。しかし、ぼくは死の間際の窓の映像を今でも鮮烈に思い出すことがある。そして、あの窓たちがどんな気持ちで生涯を過ごし、死に瀕したそのときに何を想ったのかを考えてみるのだった。
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by ototogengo | 2012-07-26 20:27 | はなし | Comments(0)
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