中島弘貴
by ototogengo


詩 6

2018年1月31日~2月1日に書いた二作。


「星ぼしの子ども」

私たちは星ぼしの子ども
いくつもの星くずが私たちをつくった
ある星は輝いて爆ぜた
またある星は膨らんで流れた
私たちは星ぼしの死体の結晶

私たちは星ぼしの子ども
星ぼしの炉が生みだした、
無数のものが永い旅をして出会った
動物も植物も微生物も、
山も海も空さえも、
私たちの同胞(はらから)だ

私たちは星ぼしの子ども
星ぼしは無の子ども
その無には名づけえぬ何かがある
だから、私たちみんなに名づけえぬ何かがある



「まぼろし」

わたしたちはみんな、異なる虹を見ている
異なる虹を見て、同じ虹だと思う
無数の水滴、太陽の光、わたしたちの目、
それらが虹をあらしめる

わたしたちではない何かが虹を見る
それはわたしたちの虹と色が違うかもしれない
それは赤色の外側に別の色が続き、
紫色の内側に別の色が続くものかもしれない
あるいは、それには色がないかもしれない
それどころか、その何かは虹の存在にすら気づけないかもしれない
透明な虹、虹ならぬ虹

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# by ototogengo | 2018-02-02 00:08 | | Comments(0)

詩 5

2018年1月26日~28日に書いた三作。


「ゆめうつつ」

色の褪せた現実を
鮮やかな夢幻(むげん)が呼び覚ます

優美な蛾の飛翔する
軌跡は星を舞い散らす
それの無数の煌きは
翅(はね)が銀河のありかと言う
ならばその蛾の全体は
おおきな宇宙であるはずだ

透きとおった空間で
宇宙が徐々に凝固する
それの無数の彩りは
星の歌を響かせる
それの無数の重なりは
静かに結晶を育てゆく

外へと育つ結晶は
神々不在の曼荼羅となる
内へと育つ結晶は
不可視のゆらぎの坩堝となる
内と外とが巡りめき
現の世界に橋を架ける

色の褪せた現実よ
鮮やかな夢幻の苗床となれ



「ゆめのきらめき、うつつのきらめき」

闇のなかで白くきらめく、凍てつく青い石が砕け、
粉々に飛びちりながら、さらなるきらめきが踊り、
その破片は種、その光の粒は胞子
宙を飛びながら、みるみるうちに芽生えて育つ
根、茎、幹、枝葉、
蔓がからむ、ヤドリギがふくらむ、また幹、また枝葉、
宙空に鬱蒼とした森があらわれる
暗い森が彩られて光る
蕾(つぼみ)だ、花だ、果実だ、
鳥だ、虫だ、獣だ、
水晶のような鳥の声、金属のような虫の声
記憶を凝り固める、熟した果実の香りと味よ
果実を凝り固める、風と雪の冷たさよ
枯れた果実は瑪瑙に変わり、
そのなかで水晶と化した種ごと凍てつく
闇のなかで霜が降(お)り、その石を白くきらめかす
初めとことばは似ているが、まるで違うものなのだ
大きな星が芽生えて輝き、
石をさらにきらめかせ、
そのうちに霜はとける
水は根に沁みこむだろう
川になり、雲になり、雨になり、
すべての雫が別々の世界を映す、
すべての飛沫が別々に瞬き、歌う



「永遠の往来とともに」

空間の余白
空白の時間
その完全性をやぶれ
萌えいずる声
繁茂する歌

空間の過密
埋められた時間
その完全性をやぶれ
静かな呼吸
孤独への沈潜

不完全と完全を行き来しつづける
育て、育て


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# by ototogengo | 2018-02-02 00:00 | | Comments(0)

詩 4

2018年1月11~16日に書いた三作。


「静かな虐殺」

人並みに生きるようとするほど、零れ落ちるものがある
すばらしいもの 永遠に取り戻せないもの
それが暗闇に吸いこまれ、消え去るのを視る
黄金色に輝く砂のような粒の流れだ
それを凝視する
それは一粒ごとが異なる蕾で、異なる花となって開きながら落ちていく
まっすぐにすべり、あるいはくるくると回り、あるいはゆっくりと舞う
それを凝視する
その一粒ごとを成さしめるのは、さらに小さな無数の粒と豊かな空隙
そのなかで、小さな粒たちが恒星と惑星と彗星のように軌道をえがく
銀河の数々のように踊る

殺されたのは、殺されつつあるのは、美しい宇宙の胚種
わたしは殺されなければならないのか
あなたは殺されなければならないのか
かつて、どれほど多く殺されなければならなかったのか
今この瞬間にも
永遠に



「ことばなきものたちへ」

透きとおった鉱物たちは豊かな花束のように結晶する
大きな河川たちは緻密な血管のように分岐する
小さなヒドロ虫たちは奥深い森のように群生する
わたしたちの体と心は巡回する星ぼしのように歌う

なぜ、なぜ、
ことばによって問いかけるだけでは、ことばなきものたちは答えない
なぜ、なぜと、
行為によっても問わなければならない
なぜ、そうか、なぜ、そうかと、
行為とことばを綯い交ぜ、くり返し、くり返し、問わなければ



「見えない糸で」

心は見えない糸をつむぐ
その糸は光を超える速さで伸び、ものとものをつなぐ
その糸にとっては、空間も時間も問題にならない
宇宙と深海をつなぎ、現在とカンブリア紀をむすぶ
その糸にとっては、大きさも確かさも問題にならない
プランクトンと星団をつなぎ、夢と現(うつつ)をむすぶ
その糸は心を中心にして、蜘蛛の網のように広がる
どこまでも伸び、どこまでも数を増やし、どこまでも緻密に、どこまでも複雑になる
その糸は次元を超えて伸び、未知の模様を描く
その一本ずつが震え、妙なる音楽を奏でる
何億、何兆、いや、それ以上もの波紋が干渉しあう!
全身全霊を躍らせて
森羅万象を躍らせて

一にして無限、無限にして一

走れ
飛べ
潜れ
歌え
果てしなく
果てしなく

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# by ototogengo | 2018-01-16 14:45 | | Comments(0)

詩 3

2018年1月3~8日に書いた四作。


「透明な夜」

冷たい夜
透明な闇が果てしなく広がるような
同時に多面体の群れに結晶するような
その静けさ
近いのに遠いような

凍るような風
樹々をゆらし、草々をうねらせて鳴かせる
硝子をふるわせ、鉄をたたいて鳴かせる
それらの鳴き声の多様さ
近いのに遠いような

透明な闇は粉々に砕け
空気はちらちらと煌く、きらきらと瞬く
その痛いような美しさ
近いのに遠いような

家の灯が近づく
夕食の香りが漂う
その光と匂いの温かさ、懐かしさ
近いのに遠いような



「植物らしきものたち」

自分のうちに植物らしきものたちがあり
その草や樹は根を深く下ろしながら茎や枝を伸ばして葉を広げ
苔や地衣らしきものに寄生されたり、それらと共生したりしつつ
さまざまな形の花を咲かせて閃く種子を飛び散らせる
それは自分のうちで繁茂して
はちきれんばかりに埋めつくし
くらくらする匂いで満たす

ついに、それらは自分を突き破る
そのときに初めて知る
自分の外郭が樹皮らしきものであり、自分自身も樹らしきものであったと

その樹のうろから植物らしきものたちが広がり
草や樹が根を深く下ろしながら茎や枝を伸ばして芽をつけ
羊歯や黴らしきものに寄生されたり、それらと共生したりしつつ
色とりどりに輝く花を咲かせて光る果実を膨らませる
それは世界のあちこちに繁茂して
隠れた領域を照らしだし
豊かな感触を呼びさます

自分はもはや自分ではなく、世界はもはや世界ではない
しかし、自分が自分であり世界が世界であったときなど、未だかつて存在しただろうか?



「美」

どれほど身構えようとも
美はわたしを不意打ちする
瞬きよりも速く、光よりも鮮やかに
その不意打ちには魅せられるしかない
美はわたしを超えたものとしてあらわれるのかもしれない



「美から」

美の不意打ち
それがなければ、人生はどれほど味気ないだろう
美の体験
それは驚くべき対象との遭遇であり、自己の驚くべき部分との遭遇でもある

外と内の扉を同時に開く痙攣
細やかな樹枝状の雷が駆けめぐる
世界を満たし、かつ虚ろにする
自己を満たし、かつ虚ろにする
そこから何かが生まれる





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# by ototogengo | 2018-01-10 12:44 | | Comments(0)

詩 2

2017年12月23日~2018年1月2日に書いた三作。


「星ぼしの夢」

黒い虚空は魂で満たされていた
極小の水の粒が無数に漂いはじめ、その一粒ずつに魂がしみこんだ
たくさんの大きな苔が青々とした葉をつややかに広げ、漂う水の粒たちを全身で呑んだ
渦巻く強風が吹きはじめ、空気を乾かした
すると、苔たちの朔が徐々に開き、胞子を夥しく放った
その胞子たちは多彩に煌く星ぼしで、煙のようでも川のようでもある流れを幾つもつくった
星ぼしは魂を受けついでおり、そのそれぞれが夢を見た
星ぼしは夢のなかで魚になり、宝石になり、ヒトデになり、鳥になり、放散虫になり、家になり、甲虫になり、山羊になり、花になり、巻貝や二枚貝になり、樹になり、珊瑚になり、蝶や蛾になった
さらに、星ぼしは夢のなかで植物から動物へ、動物から菌類へ、菌類から鉱物へというように、次から次へと姿を変えた
すると、それらになった気がした
いや、星ぼしはその輝きを纏ったまま、本当にそれらへと変身したのだった
夢は現実であり、現実は夢だった
その代償として、星ぼしは命を大きく縮めることになった
彼らは魚として、獣として、鳥として、植物として、人として夭折するのだった
その大部分が老いさらばえ、苦しんで死んでいったのだった
それでも、それらの魂は決して死ななかった
この世界が終わるまで、魂は死なないだろう
あるいは、この世界が終わっても死なないかもしれない



「世界樹」

世界樹は千年に一度だけ脱皮する
全身の皮が剥け、そのなかから透明な本体が現れる
剥けた皮は世界樹の根元にうず高く積もり、やがて樹の養分になる
脱皮した世界樹は徐々に色づき、百年をかけて元の色になる
同じ時間をかけて、その柔らかい幹や枝葉が硬くなる
そして、脱皮する前よりも一まわり大きくなる

わたしは百年も生きられない
だが、運良く世界樹の脱皮の時期に居合わせた
わたしはその変化を愛しながら生きることができた
例えば、世界樹の葉の一枚
脱皮したばかりの透明な葉をすかして、世界樹の奥にある星ぼしが見えた
それによって、その輝きは水面をとおるように乱反射し、ますます彩り豊かに、ますます美しくなった
透明な葉が少しずつ色づく
それとともに、それをすかして見える星ぼしの輝きもすばらしい移ろいを見せた
透明だった葉が半透明になり、とうとう不透明になった
もはや、その奥の星ぼしの輝きはほとんど見えなくなったが、別の美しさがそれに取って代わった
葉が透明だったころには不確かだった葉脈が鮮明になり、その巨大で緻密な模様がわたしに眩暈をおこさせた
その葉の一枚だけで、地球の表面積より何千倍も大きいのだ
世界樹は大きすぎて、わたしの一生ではそれをとても知り尽くせない
しかし、だからこそ、わたしは世界樹を愛し続けられた

わたしは死ぬ
世界樹が完全に色づく前に死ぬ
だが、わたしはそれがこれからどのように成長するのかを想像できる
百年足らずのわたしの経験が、わたしの想像力を育んだ
その経験はわたしだけのものではない
わたしの前に生きた多くの人が世界樹を愛し、知ろうとし続けてきた
わたしはその記録を読み、聞き、わたし自身の経験と溶け合わせた
わたしの経験には、何と多くの経験が凝縮されていることだろう!
そして、そのわたしが記録を残し、それをさらに伝えていく
これから何百もの世代を経て、記録は数知れぬ記録を孕み、眩暈をおこさせるほど豊かなものに育つだろう
それでも世界樹を知り尽くせる誰かが現れるとは、とても思えない
それほど世界樹はすばらしい
わたしのあとに続く多くの人が世界樹を愛し続けられますように



「ところですらないところ」

色あせた日常
心の飢えは激しい
人の世に美が足りないからといって、自分まで醜くすることはないのに
自然界の緻密な織物よ、人生の結晶としての芸術よ、ゆさぶってくれ
地を通りぬけた先の天を感じさせてくれ
その天は上にあるわけでも下にあるわけでもない
それは向こう側の開けたところにある
無限に時空間が開けるところ
ところですらないところ
ああ、美と響きあう魂を見つけた

体の細胞の一つ一つが星に変わり、多彩に瞬く
心の闇もまた星空に変わり、体の星ぼしと呼応して歌う
わたしはそれらの星ぼしと触れあう
ところですらないところそのものになって
星ぼしから芽や花や葉のついた光の蔓が伸び、宙のなかで結びつく
曲線らしい曲線、直線に近い曲線、渦巻きに螺旋、波うって広がって弾け飛んで落ちて
緻密な模様を描いて結びつき、絡みあっては新たな星を生む
わたしを超えて自由へ向かえ

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# by ototogengo | 2018-01-02 11:44 | | Comments(0)

詩 1

2017年12月下旬から、詩を再び書きはじめました。「詩 1」「詩 2」…という具合に、数作ずつ載せていきます。まずは、12月21日~22日に書いた三作。


「孤独は孤独のままに」

夜の果てから朝がやってくる
無限の色を呼び起こし、無限の声を呼び覚ます
透明な闇をやわらかに塗りかえる、光の波、光の粒
色を味わい、声と触れあう
ああ、孤独は孤独のままに、それでも世界はめぐりゆく

誰とも語りあうことはない
だが、森羅万象は語っている
風や水や草木や虫の語りに心を澄ます
空や土や獣や岩の語りに体を澄ます
ああ、孤独は孤独のままに、それでも世界に問いかける



「宇宙」

海の深くに宇宙があった
果てのない冷たく暗い時空よ
虹入りの水晶を裏返したような、ちかちか、ぺかぺかとした瞬きが模様を描く
踊るちかちか、歌うぺかぺか

水母のなかをすりぬけ、烏賊のなかをすりぬけ、目のない魚のなかをすりぬけ、放散虫のなかをすりぬける
そのたびに宇宙をとおる
宇宙のなかの宇宙
宇宙のなかの宇宙のなかの宇宙
宇宙のなかの宇宙のなかの宇宙のなかの…



「空間は結晶しながら拡大する」

四角い小さな部屋
暗闇のなかに、さまざまな鉱物の結晶が無数に浮かぶ
六面体、三角柱、葡萄状、四面体、石筍状、六角柱、放射針状、八面体、球状、十二面体、四角柱、樹枝状…
それらは色も大きさや明度もとりどり、自転しながら複雑な軌道を描く
こちらの雫型の結晶は極めて細長い楕円軌道を進む
あちらの円い結晶を中心にして、いくつもの結晶が同心円を描く
そちらの金平糖じみた結晶は輝きを増しながら大きく成長し、ついには砕け散る
わたしもまた、空中に浮かんでいるように感じる
四角い部屋が果てしなく拡大する
ついに、わたしはその結晶たちをふくむその空間と同化する

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# by ototogengo | 2018-01-02 11:34 | | Comments(0)

変身

きのこの傘に丸っこい小さなイボイボがたくさんできていて、歪(いびつ)な水玉模様のようになっている。そのイボイボの一つ一つが少しずつ膨らみ、光沢をおびた球形の果実に変わっていく。それらはさらに膨らみながら、シャボン玉のように次から次へと、きのこの傘から飛びたつ。それらの球体はふわふわと漂いつつ、上へ上へと昇る。そして、そのようにしながら光を放ちはじめる。水色、桜色、翡翠(ひすい)色、檸檬(れもん)色、紅(くれない)、藤色、群青(ぐんじょう)、生成(きなり)色…それらの球体の一つ一つはそれぞれに異なる淡い色をおび、息づくように明滅しながら暗闇のなかを昇っていく。

やがて、それらの球体の下部がほぐれはじめ、ふんわりと開いていく。そして、その球体の各々(おのおの)が、発光する水母(くらげ)に変わっていく。半球形の体をもつ水母もあれば、紡錘形や円盤形や餃子(ぎょうざ)のような形の体をもつものもある。水母のそれぞれがもつ触手の数や長さや太さもさまざまで、その色も違えば、その透明度も違う。水母たちは漂ったり、膨らんでは縮んでを繰り返したり、触手をひよひよと動かしたりしながら昇りつづけ、光り方を変えていく。無数の細かい輝きをおびて表面がちらちらと光るもの、燃えるように内側からぼおっと光るもの、体を縦につらぬく数本の透明な繊毛の列が多彩かつ細やかに瞬くもの、爆発するような閃光を全体から放射するものなど、その光り方はそれぞれに異なる。

やがて、河のような流れになった光り輝く水母の群れが、あちこちからやって来て合流する。すると、水母の群れの全体はより大きな、より密度の高い流れに成長しながら、さらに上へ上へと昇っていく。水母たちの放つ多様な光が上下左右に、手前に奥に重なりあい、混じりあい、動きつづける。それは想像を絶するほど壮麗な音楽のようで、わたしたちの貧しい感覚ではとても捉えきれない。感覚はとっくに溢れかえっているのに、その光はさらに強く、広く、深く、精妙になる!その光を眺めていると、夢のなかにいるような気もするが、それはすばらしく冴えわたった夢だ。いや、その光をただ「眺めている」と言うよりは、「体験している」と言った方がいいだろう。わたしたちは取り憑()かれたように、その光の体験に魅了されるしかない。

やがて、水母たちの透明な体が半透明の暗闇のなかに溶けこんでいく。だが、それらが放つさまざまな光はますます鮮やかさと複雑さを増しながら、全天に広がっていく。その夥(おびただ)しい光は、星雲や恒星や彗星や惑星や衛星などのそれなのだ。眩暈のするほど複雑な輝きが、途方もなく複雑に運動している。そのような輝きを繰り広げながら、宇宙は絶えまなく速度を増しつつ膨らみつづける。


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# by ototogengo | 2017-10-19 22:08 | はなし | Comments(0)

悪魔の系譜

 この世界が始まったとき、宇宙は渾沌(こんとん)でしかなかった。この宇宙は神の無意識の一部だった。精確に言えば、ほんの一部にすぎなかったが、それだけでも途方もなく広大だった。宇宙には何もないようだったが、実際には全ての可能性があった。全ての可能性で満ちているからこそ、まるで何もないようだったのである。宇宙には全ての色と形の原型が混じり合い、重なり合いながら満ち満ちていた。だからこそ、宇宙は黒くも白くもなく、透明に見えた。宇宙には低い音から高い音まで、そよめきや囁きから轟(とどろ)きや叫びまでの全ての音の原型が混じり合い、響き合ったり打ち消し合ったりしながら満ち満ちていた。だからこそ、そこでは濃密で硬い静寂しか聴こえなかった。
 神が行ったのは、神にとっては本当にささいなことだった。神はこの世界に注意を向け、意志を発したのである。それによって宇宙は意識の一部になり、その意志が渾沌に秩序をもたらした。色も形も音も、それぞれが一つ一つに分かれて固定されはじめた。組み合わさり、質と量をもち、さまざまな運動を始めた。この世界に対して神が行ったことは、ただそれだけだった。神はそれからずっと、何一つとして行わなかった。まるで、神など存在しないかのように。何万年だろうと何億年だろうと何兆年だろうと、神にとってはほんの一瞬でしかないのかもしれない。おそらく、神は自分の意識のその部分に注意を再び向けることすらなかったのだ。
 しかし、神の唯一の行為が無数の現象をおこし、その現象の一つ一つやそれらの組み合わせがさらに多くの現象をおこし、それがどこまでも、どこまでも、自然発生的に繰り返された。そのようにして生まれる全ての現象が複雑に関係しあうことで、世界は動いていく。つまり、それこそが運命と呼ばれるものなのだ。
 そのうちに、星ぼしが生まれ、そのなかのごく一部に原始的な生物が現れた。生物は植物や動物や菌類などに分かれ、さらに進化を続けた。そして、ついに知性をもつ生物が現れた。生物のほぼ全ては運命の流れのままに生きた。知性をもつ生物でさえも、そうだった。しかし、そのなかで唯一、運命の流れに反逆しようとする存在が現れた。そして、その存在は悪魔と呼ばれた。
 悪魔は不断に行動し続けた。やがて、悪魔は知恵をもった。そして、力をもった。それらの全ては悪魔自身の強靭な意志に端を発していた。真の自由を求める意志だ。真の自由とは何か?それは運命の制限から解放されることであり、この世界において神が成した唯一の行為に反逆することだった。神への反逆…それこそが、その存在が悪魔と呼ばれた所以(ゆえん)だった。大多数の生物に敬われ、畏(おそ)れられる神は善そのものであると信じられていた。その信仰に従えば、神に反逆しようとする存在は悪でしかありえない。だが、本当にそうだろうか?
 悪魔の知恵と力は強大なものだった。ありとあらゆる手段を駆使し、悪魔は真の自由を求めた。気が遠くなるほどの時間をかけて心身を酷使し、自分の命を削ってまで自由を求めた。富にも名声にも目をくれず、人々から非難と迫害を受けながらも自由を求め続けた。それでも、悪魔は運命の流れを、世界の理(ことわり)をくつがえすことができなかった。いや、それを微動させることすらできなかったのである。運命の流れには悪魔の存在と行為さえも組みこまれていたからだ。悪魔の全てをかけても、神には到底及ばなかった。この世界に対する神のささいな一触れにさえ、遠く及ばなかったのである。そして、ついに悪魔は絶命した。神に向かって「お前は卑怯ものだ!」と叫びながら。だが、神は相手にしなかった。おそらく、その叫びを聴くことさえもなかっただろう。
 しかし、悪魔の系譜は途絶えなかった。哲学者、科学者、錬金術師、魔術師、武道家、宗教家、そして芸術家…それらのうちのごく少数が真の自由を求め、悪魔の系譜に連なった。まさに、彼らは例外的な存在だった。彼らは真の自由を求め、多数がその過程で絶命し、他の多数は発狂し、その他の少数は永久に行方をくらませた。あるいは、そのなかに真の自由を獲得した者がいたのかもしれない。絶命したり発狂したりしたのは見せかけで、実際には真の自由を勝ちとったのかもしれない。だが、世界の理の中にいる私たちに、その真相を知るすべはない。
 悪魔の系譜に連なる者たちにとって問題なのは不可能だ。可能なことは彼らの関心を惹かない。なぜなら、それを成すのは困難ではないからだ。困難でないことなど、おもしろくも何ともない。不可能だと思われることであっても、それをとことん試みるまでは不可能だとは断定できない。彼らは不可能だと思われることを一つ、また一つと可能に変えていく。そして、最後に残されるのが真の自由を獲得することだというわけだ。運命に挑むことであり、神に挑むことだというわけだ。そのようなことをして無事で済むわけがないのはわかりきっている。彼ら自身もそれを痛感せずにはいられないはずだ。それでも、彼らは挑み続ける。彼らは愚かなのだろうか?誰もがそうであるように、ある意味では愚かなのだろう。しかし、彼らは誇り高い者たちなのかもしれない。運命の流れに反逆しようとする者は悪であり、神に反逆しようとする者は悪である…もう一度問うが、本当にそうだろうか?彼らのうちで最も気高い者たちは、反逆するための反逆をすることはないだろう。ただ、彼らは高みを求める。ただ、道を求める。ただ、奇跡を求める。ただ、自由を求める。その果てに絶望があるのか、それとも救いがあるのかはわからない。しかし、彼らはそれで良しとするかもしれない。少なくとも、彼らのその過程には充実があり、その果てに「わたしはやりきった」という実感をいだくことはできるはずだから。
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# by ototogengo | 2017-03-06 20:07 | はなし | Comments(0)

2017年2月24日 Slapp Happy来日ライブレポート

Slapp Happy(スラップハッピー)…1972年にドイツで結成された三人組のバンド。三枚のアルバムを出したあと、1975年に活動を停止。1998年に23年ぶりとなるアルバムを発表し、2000年には来日公演も行った。彼らは2016年下旬からライブ活動を再開し、2017年2月にオリジナルメンバーによる二度目の来日公演を果たした。ポップかつ実験的な音楽性から、彼らはアヴァンポップバンドと呼ばれることもある。

2017年2月24日(金)Slapp Happy来日ライブ
(Mt. RAINIER HALL SHIBUYAにて)
〈セットリスト〉
(第1部)
01. A Little Something
02. Me and Parvati
03. Michelangelo
04. Mr.Rainbow
05. The Secret
06. Small Hands of Stone
07. Silent the Voice
08. Who’s Gonna Help Me Now?
09. Blue Flower
10. Casablanca Moon
11. Just a Conversation

(第2部)
12. Charlie’n Charlie
13. Slow Moon’s Rose
14. Child Then(→Some Questions About Hats)
15. King of Straw
16. Scarred for Life
17. The Unborn Byron
18. I’m All Alone
19. Let’s Travel Light
20. Heading for Kyoto
21. Dawn
22. The Drum

(アンコール)
23. Blue Flower
24. Who’s Gonna Help Me Now?

〈メンバー〉
Dagmar Krause - vocal
Peter Blegvad - guitar, vocal
Anthony Moore - keyboard, guitar, chorus


〈ライブレポート〉(※以下、曲名を“”の中に記します)
 開演時間になり、メンバー三人が登場。とても背の高いピーター・ブレグヴァドを先頭に、小柄なダグマー・クラウゼ、中背のアンソニー・ムーアが続く。客席から見て、ピーターが左手、ダグマーが中央、アンソニーが右手に位置どり、ついに演奏が始まった。十年以上前から観ることを切望し続けてきたスラップハッピーのライブだ。
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 声域が低くなったものの、ダグマーの硬質な歌声は顕在。また、その声域の変化があったからこそ、絞りだすように歌いあげる場面やファルセットで繊細な高音を出す場面が際立った。ギタリストのピーターはほほえみながら演奏する場面が多く、たのしそう。押さえどころは押さえつつ、遊びを垣間見せるギタープレイが小気味良く、その歌声は温かくて力強い。アンソニーはキーボードがメインだが、曲によってギターに持ち替える。キーボードで出すことの多かった、水のように透明感のある優しい音色が心地良かった。
 “Just a Conversation”の演奏中には、ダグマーが電話機に模した小道具を持ちながら話をするという寸劇を演じた。“Let’s Travel Light” の間奏では、ピーターが口笛を、アンソニーがカズーを吹き、“I’m All Alone”の間奏では、メンバー三人が同時に(!)半即興的なハーモニカを吹いた。また、“Child Then”が“Some Questions About Hats”へと滑らかに移行し、後者の曲をワンコーラスだけ歌って終わるという心憎い演出もあった。以上のような遊び心にあふれる演奏が彼らの魅力の一つだ。それが特に顕著に感じられたのは“Blue Flower”で披露した、ピーターとアンソニーによるヴェルヴェットアンダーグラウンド(※主に1960年代後半~70年代前半に活動したアメリカのバンド。初期に芸術家のアンディ・ウォーホルと関係があった)風のツインギタープレイ。MCでダグマーがヴェルヴェットアンダーグラウンドから影響を受けたと言っていたが、二人とも実にたのしそうにギターを弾いていた。
 一方、彼らは曲や場面によってシリアスな演奏をした。“Mr.Rainbow”の激しさ、“Silent the Voice”の荘厳さ、“Slow Moon’s Rose”の穏やかさ、“Scarred for Life”の切なさ、“The Unborn Byron”の神秘性など…シリアスかつシンプルな演奏がそれらの特徴を引き立てていた。ダグマーが鬼気迫る絶唱をみせた“Mr.Rainbow”と、演奏中に涙する観客もいた“Scarred for Life”は、この日のライブのなかでも特に心を揺さぶられた曲だ。
 ピーターが「タンゴだ」と言ってから名曲“Casablanca Moon”の演奏を始めると、客席から大きな拍手がわきおこったのも印象的だった。

 MCやライブ中の立ち振る舞いなどから、三人のチャーミングな人柄もうかがえた。ピーターがユーモアをまじえ、最も多く話した。第二部に入ったときに「ぼくたちは眠いから、目を覚ますためにこの曲を演奏する」という意味合いの言葉をおどけて話したことが記憶に残っている。アンソニーは物静かだが、突然おもしろい発言をする。“Mr.Rainbow”を演奏する前に、「ラウドにしよう。ライブなんだから」というようなことを言ったり、“Child Then”を演奏する前に「ぼくは子どもだ」という意味合いのことを言ったり。このように形容すると失礼にあたるかもしれないが、ダグマーは姿も言動も可愛らしかった。日本語に興味があるらしく、「こんばんは」という言葉を観客に言わせ、それに続いて彼女自身が発音するという一幕もあった。何よりも印象深かったのは、二度目のアンコールのあとでダグマーが観客に向かって何度も「ありがとう」と言い、マイクのスイッチが切れてからも、たぶん「ありがとう」と言い続けていたことだ。こちらこそ、まさかの再来日ライブを観られ、さらに二度ものアンコールに応えてもらえて、感謝の念しかない。以上の経緯もふくめ、忘れがたい一夜になった。

 ずっと前から、スラップハッピーのことを「魔法のようなバンド」だと思っていた。今回のライブを観る前には、その魔法がとけてしまうのではないかという不安もあった。だが、実際にライブを観ると、その不安はすっかりなくなった。それどころか、彼らは「魔法のようなバンド」だという実感がさらに強まった。スラップハッピーに出会えて良かった。彼らはとても不思議なバンドで、これほど愛おしく思えるバンドは他にない。
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# by ototogengo | 2017-02-27 21:17 | Comments(1)